2022年7月12日 (火)

続・台湾に「訪問学者」として渡航する研究者向け情報(2022年7月版)

前回の情報で間違いがあるので訂正したい。「行動報告アプリを入れて」と書いてしまったが、これは間違い。現在は隔離期間中に、地方の警察から電話がかかってきてルールの説明などをすることだけで済む。アプリによる管理はなされていない。

 

さて、前回書いた招聘状取得、フライト予約、ビザ申請、防疫ホテル予約などが終わると、一段落して「果報は寝て待て」という状態になり、次のステップに移る。以下、成田→桃園のケースを紹介しよう。

 

(1)PCR検査

一段落した段階で準備すべきことは、COVID-19のPCR検査予約である。現在安くて台湾渡航に使えるところとしては、たくさんあるが、木下グループを挙げることができる。

https://covid-kensa.com/

 

検査が2500円、パスポート番号などの情報を書き込んだ証明書は1000円である(この会社は、検査場で要求しないと領収書をくれないので要注意)。問題は、予約の時間帯である。台湾当局の要求は出発の48時間前までである。この計算をミスしないよう注意が必要。たとえば日曜日の午後3時出発予定なら、金曜日の午後3時過ぎに予約する必要がある。

 

検査結果は、スマホでスクリーンショットをとればよいが、プリントもしておくと安心かもしれない。

 

(2)「入境検疫系統」への入力

次に、絶対に忘れてはならないのが、台湾の衛生福利部の「入境検疫系統」への入力である。これが後に繰り返し確認される。出発の48時間以内に入力することとなっているが、そもそもPCR検査の陰性証明がでていないと入力できないようになっているので、感覚としては出発の前日夜に入力することになる。

 

気をつけるべきは、かならずスマホで入力しなければならないことである。PC版は、電話番号の入力画面にバグがあるのか、何を入力してもうまくいかない。しかも、最後になって、「この画面をスクリーンショットしてください」という説明がでてくる。何も考えず、スマホだけでやることが重要。

 

ポイントとしては、パスポート、航空チケット(座席ナンバーが必要)、陰性証明などをそろえてから始めること。面倒なのは、台湾の携帯番号がない場合。日本を研究拠点としていて、台湾に携帯があるという人も、多くはパンデミック中に番号が失効しているはずで、その場合はまず日本の携帯番号を入力する必要がある。

 

全て入力完了したとき、「SMSが送られてきます」という画面がでるが、「直後に」とは書いていない(ここが不親切。なかなか送られてこないので不安になる)。実際には日本の空港出発直前または台湾の空港到着直後にSMSが送られてくる。そこにあるリンクをクリックすると、「Quarantine System for Entry」という画面がでてくる。この画面にあるボタンを押していき、台湾の携帯番号を入力する((3)参照)。最後の画面にバーコードがあるので、そのスクショをとる必要がある。この当たりの作業は、台湾の空港職員(なんとなく臨時職員の印象がある。成田そっくり)がサポートしてくれるので心配いらない。

 

(3)台湾のSIMカード購入

上記のように台湾の携帯番号がなくても桃園空港に到着することができるが、その場合は入境直前の段階でSIMカードを強制的に買わされる。それは、隔離期間中に絶対必要なアイテムだからである。この際、訪問期間に合わせて、使い放題のSIMカードを買ってしまった方がよいと思う。最初の用途は、(2)にあるように、「Quarantine System for Entry」に入力することである。

 

(4)空港でのPCR検査

「入境居家検疫申報憑証」のスクショを次の窓口で見せると、「この先、荷物を受け取って、PCR検査を受けてください」と言われる。この時、PCR検査用の容器と、自主健康管理用の抗原検査キット×2セットを渡される。そして、見慣れた入境管理窓口でいつもの入境手続きをして、荷物の受け取りをする。

 

ところが、荷物がなかなかこない。この辺りから「台湾式防疫」の「洗礼」が始まる。30分以上待ったところで、ようやく自分の荷物を手にすることになるが、それがビショビショに濡れていることに気づく。つまり消毒液が散布されているのである。「なるほど」と思いながら税関を通って外の広いロビーにでる。どこでPCR検査をするのかと思えば、屋外である。確かに屋外の方が感染リスクが減るのでよいが、成田との違いに驚く人もいるかもしれない。季節にもよるが、暑いので涼しい格好にあらかじめ着替えておくのがよいだろう。

 

(5)防疫タクシー

PCR検査が終わると、(友人や家族の迎えがない場合)防疫タクシーにのって防疫ホテルに向かう。予約は不要であり、並んでいればよい。ただ、自分の名前と宿泊先の情報が防疫タクシーの運転手には共有されるので、ここで逃げも隠れもできないということがわかる。タクシー待ちで並んでいる間、荷物ではなく、「全身」に消毒液を吹き付けられる。2回目の「洗礼」であり、思わず笑っている自分に気づくだろう。要するに、丸洗い可の経済的な涼しい衣服、カバン、靴で訪台する方がよいということである。

 

(6)防疫ホテル

到着すると、また荷物と全身に消毒液を吹きかけられる。3回目の「洗礼」であり、思わず「台湾~やりすぎ~」と心の中で叫んでいる自分に気づくだろう。ここでも笑ってやり過ごすのが重要なポイントである。全て録画されている。隔離中のトラブルは身を滅ぼす元であり、気をつけよう。ホテルでチェックインの際、いつもと違うのは、LINEの登録をすることである。したがってLINEをやっていない人はとても面倒なことになるので、せめて出発前に始めておこう。チェックイン後の隔離部屋でフロントとするやりとりはほとんどLINEである。LINEが9割以上普及した台湾ならではの光景である。

 

(7)「自主健康管理」への移行

台湾での隔離生活については多くの経験談がネット上にあふれているのでここでは割愛する(警察から電話もくるし、毎朝体温を測って写真を撮ってLINEでホテルに送ったりする。部屋から一歩も外には出られない)。ここでは、3日間の隔離生活が終わった後、どのようにして「自主健康管理」に移行し、外に出ることができるか、という点を紹介する。

 

「自主健康管理」は4日目から4日間であり、外出する場合その48時間前に抗原検査で陰性証明をとる必要がある。空港で受け取った抗原検査キットを使って、結果をLINEでホテルのフロントに送り、何時に外出するかを伝える(チェックインする人と鉢合わせしないためらしい)。ホテルに戻るのはその日の夜12時以前まで、とされている(外泊はダメ、ということ)。これを2回やれば、4日間外出することができる。ただ、こう書いてもわかりにくい。

 

簡単に言い換えると、外出する予定の朝に抗原検査をして、その結果(一本線は陰性、二本線は陽性)のスクショと出発予定時刻をフロントにLINEでおくる。自主健康管理1日目と3日目の朝にこれをして、陰性なら、全期間中外出ができる。

 

「自主健康管理」期間中の外出では、他人との会食および人混みに入ることを避けることが求められる。多くの台湾人はこの期間から出勤している。したがって、「仕事に行く」と言って出て行くのが最も普通の行動となる。



以上、だいたいこのコラムに書いてあることと同じであるが、このブログには多少の補足情報も入っているため、ある程度有用な情報だと思う。

https://www.his-j.com/corp/contents/column/taiwan-travel/

なお、以上の情報は2022年7月11日現在のものである。このブログでの情報はあくまで個人的な善意に基づくシェアにすぎず、私は責任を負うことができない。なお、渡航関連情報は、ツイッターやYouTubeなどでも確認できる。台北経済文化代表処のホームページの一次情報を確認すると同時に、最新の経験談をネット上で確認するとよいだろう。こうした苦労をせずとも台湾渡航ができる日が早く訪れることを期待したい。なお、日本に帰国する際の必要情報は、ネット上に大量に存在しているので、ここでは割愛する。

 

台湾で客員研究をしたいと考えている方のお役に立つことができたら幸いである。

2022年6月17日 (金)

台湾に「訪問学者」として渡航する研究者向け情報(2022年6月版)

朗報です。6月6日に、台湾の停留ビザ(訪問学者、180日以内)の発給が再開されました。この6番です。

「台湾に行かないと研究にならない」とぼやきながらも、実は海外渡航に面倒さを感じているという方も多いでしょう。実に面倒です。それでも、「行くぞ!」という気持ちになり、埃をかぶったスーツケースに手を伸ばすことを決めた方は、以下の情報を参考にしてください。
2022年の夏休みに台湾に行くなら、タイミングとしてはすでにギリギリです。
以下、クイックプロセスを書きます。
----------
(1)訪問学者の招聘状を取得
まずは、最も時間がかかり難度が高い「招聘状」(雇用関係にないことを明記することを忘れずに)を大学か研究機関からゲットしてください。手続きが煩雑な組織だと2-3カ月平気でかかってしまいます。簡単に出してくれそうなところに頼むのがよいでしょう。いくつか打診することが大切です。この段階で、「台湾での滞在期間」をほぼ決定することが大切です。なお、このビザは延長不可です。長めの日程で招聘状を書いてもらって、実際には早めに帰国する予定を立てるのがコツです。逆ができませんから。
事情を話してEMSでとにかく早く・速く送ってもらいましょう。時間との戦いです。
(2)ビザの取得
ところが、書類がそろっても、ビザの取得には最低2週間くらいの余裕がないと無理です。ですから、「台湾での滞在期間」は、ビザを取得してから渡航するまでの期間も計算して決める必要があります。なぜビザ取得が大変なのか?それは、このサイトで予約するのですが、毎朝8時にリフレッシュされるのですが、その瞬間に早押しクイズのように予約をしていく必要があります。少しでも出遅れたら(たぶんベストタイムより5秒遅れたら)予約はできません。何を入力するか、最初に書き出しておいて、コピペするのがよいです。ところが最近は朝8時の段階で×が出ていて、絶望的になります(理由は推して知るべし)。
そこで、業者にお金を払ってやってもらう方が楽だ、という結論に落ち着きます。私は、この業者に依頼しました。18000円です。代表処は業者相手の窓口を毎週水曜日にしか開けていないので、今週の水曜日までに書類を全部そろえて依頼すれば、来週の水曜日にはビザがとれる、というリズムになります。だから、2週間くらいの余裕がないと無理なのです。しかも、業者が予約した枠がなければ無理です。したがって招聘状を入手できる日付がわかった瞬間に業者に予約を入れるとよいでしょう。出発日計算のポイントは「招聘状を入手する日+ビザ取得の日」で計算するのです。
しかも、ビザはシングルのみです。つまり、もしも実家で急用ができて急遽帰国しなければならない、という事態に陥ったら、二度と台湾には戻れません。ですから、判断と行動は慎重にしてください。
(3)エアチケットの予約
まだ障害物は続きます。チケットですが、安いチケットはますます取りにくくなっています。25万円くらい出せるという人には問題がありませんが、安いチケットを買いたいなら日程を決めるタイミングで即買った方がよいです。その際、変更・キャンセル料金を確かめておくことを忘れずに(パンデミックで旅行業界は弱体化しています。勝手に変更・キャンセルされ、通知さえないことがあります。こまめにチェックをしてください)。
(4)防疫ホテルの予約
さらに障害物があります。防疫ホテルの予約です。6月15日から隔離が3日間(初日を数えないので実際は4日間)、自主健康管理が4日間になります。これも朗報なのですが、8日間の防疫ホテルを予約するのが大変面倒です。
友人から進められてこちらで予約しました。ところが、帰国者・訪問者が激増していて、チケット同様予約は相当難しいのです。自宅があれば別ですが、同じホテルで8日間続けて滞在するのが標準パターンです。
台北市内は高く、8日間で4万元くらいします。桃園などはその半額ですみます(成田=桃園でチケットを買って桃園で隔離し、タクシーで台北に移動する方が、台北市内で隔離するよりはるかに安い)。しかし、気をつけなければならないのは外国人が割り増しになっていることです。説明をよく読んで選択してください(腹が立ちます)。さらに、隔離期間中の三食を選択すると、自主健康管理期間中を含めた8日間連続の選択しかできません(これも腹が立ちます)。つまり、本来は4日目(実際には5日目)からは会食さえ避ければ外で食事が可能なのですが、隔離期間中の食事を確保すると、自動的にホテルでの8日分の食事が予約されます。なお、到着した0日目の夕食について質問したところ、ちゃんと準備してくれるという返事をもらいました。心配な方はご自分で確認してください。
いろいろ書きましたが、今や8日間連続で確保するのは相当難しくなっています。したがって、渡航日程が決まったら即予約することが重要です。
(5)保険
保険には、コロナ感染による旅程の変更に対応してくれるものを契約することが重要です。私はこれを使いました。よく読んでご自分で判断してください。日本から出発前に陽性なら全キャンセル、台湾から出発前に陽性なら10日間くらいは帰国が遅れます(数ヶ月陽性になる体質の人は医療機関に治癒証明を出してもらいます。日本政府もこれを受け入れるようになりました。絶望しないように)。
(6)所属組織での手続き
これは人それぞれでしょう。私はとにかくダメ元で早い段階で関係相談して相談して申請を出しておきました。事前に許可が下りていれば、実際に渡航する段階で、日程変更だけすればよい、ということになります。とにかく早めに相談することが大切です。
----------
やってみようという方はやってみてください。私は2021年5月にこの最後のステップの直前でデルタ株の感染流行で上記訪問学者ビザ発給が停止され、断念しました。また、この手続きを進めているうちに台湾がビザ無し渡航を復活させて、ビザ取得手続きが無駄になる可能性もあります。また台湾は渡航前PCR検査を義務づけていますので、そこで陽性になったら、全てが水の泡です。
コロナ・パンデミック下での海外渡航は文字通り「障害物競走」です。私の知っている情報は提供しましたが、最終的には自己責任ということでお願いします。またこれは2022年6月17日現在での情報です。どんどん変わりますのでお気をつけて。
実際にはこの先、渡航に際してPCR検査を行い、行動報告アプリを入れて、空港でSIMカードを買わされて・・・という障害物が次々と待っています。これについては、もう少し経ったらこのブログで書きます。

2021年8月24日 (火)

坂元ひろ子「現中学会『七十にして』の『反思』」への強い違和感

 

松田康博

 

 『日本現代中国学会ニューズレター』(第63号 2021年5月31日)が送られてきた時、標題にある元理事長の坂元ひろ子一橋大学名誉教授が書かれた巻頭言を読んで、強い違和感を覚えた。全文はここで見ることができる(http://www.genchugakkai.com/archive/newsletter/jamcs_n_63.pdf)。

 私は20数年前から現中学会の会員であり、何度も報告をしたり、コメンテーターもしたりしているし、自分の学生にも入会を勧めている。運営にも少しだけ関わったことがある。いたって普通の一会員に過ぎない。

 

 坂元先生は、近現代中国思想文化史のご専門で、ジェンダー研究にお詳しい。政治学を学んだ私とも、権力構造を見ていく点において共有する部分があるものの、直接的にご一緒に研究したり、議論したりすることは、これまでなかった。ただし、今回は元理事長として、学会の70周年を記念した巻頭言に書かれたことであり、若手研究者もこれを読んでしまったのかと思うと、このまま放置することもできないという気になってしまった。

 

 以下、違和感を覚えた点を挙げておこう。失礼があればお許しいただきたいし、間違いがあれば、訂正や反論を歓迎したい。

 

 第1点は、坂元先生が、一面的に「中国嫌悪」のみを延々と嘆き、批判しているだけで、その原因の一部となった中国の言動に一切触れず、批判もしていないことである。ここで取り上げられる「反知性的『中国嫌悪』」は、具体例が指摘されていないが、中国関係者であれば、だいたい想像がつく。しかし、中国の行動については、「天安門事件」、「尖閣諸島問題」と単に羅列されているだけである。それどころか、香港、新疆、チベット、台湾にいたっては、言及さえなされていない。

 坂元先生が想定する「日本」とは、中国がどのような行動をとろうとも、無条件に中国を好きにならなければならない義務でも課されている国なのであろうか。日中関係に限らず、どのバイラテラルな関係も、相互作用・相互批判によって成り立っている。他方日本側の問題は、「中国嫌悪」、「歴史教育」「加害者意識の欠如」、「戦後賠償の欠如」、「遺棄化学兵器」といくつも並んでいる。いちいちごもっともではあるが、あまりにもバランスが悪すぎないだろうか。

 

 第2に、坂元先生は、「中国人留学生に依存して経営のなりたつ大学さえあるなか、『中国嫌悪』が何を結果することになるのか言をまたない。研究者のほうでも、『中国嫌悪』にのって、あるいはそれを隠さない政府への忖度からもそれに逆らいがたく、必要以上に中国政府への一方的批判言説を強めかねない」という。留学生と大学経営を結びつけたことには、驚きを禁じ得ない。「中国嫌悪」は、大学経営のため、有り体に言えば中国人留学生に敬遠されないようにするためなくすべきものなのだろうか。また、大学経営に依存していない国からの留学生に対しては「嫌悪」を解消する必要はないのだろうか。そして多様なバックグラウンドを持つ我々中国研究者とは、「中国嫌悪」を隠さない日本政府を忖度して、必要以上に中国政府への一方的言説を強めかねない人々なのであろうか。これが、現中学会会員へのメッセージなのだろうか。

 私は違うと思う。不当で一面的で根拠のない「中国嫌悪」は、大学経営に関係なく、批判されるべきだと思う。何よりも、中国人留学生をレイシストによる理不尽な「中国嫌悪」から守るのが我々大学教員の務めである。同時に、留学生達に中国国内では得られないかもしれない知識や、考え方や、議論の仕方を伝えたり、中国国内では知らされない中国の姿やイメージを伝えたりすることも我々教員の重要な務めである。「なぜ中国が(一部とはいえ)世界で嫌われてしまっているのか。なぜ中国国内でそのことに一方的な解説しかなされないのか」ということを、中国の外で解説するだけで、留学生は多くのことが理解できるようになる。中国の未来のために、これは必要なプロセスである。この課題を避けていたら日中交流にならないだろう。

 中国研究者は、日本政府を忖度しているのだろうか。それとも中国政府を忖度しているのであろうか。私はそのような現象があるとしたら、どちらもゆゆしき問題であると思う。後者については、すでにかなりの批判がなされている。なぜ、坂元先生は、(あるかどうかわからない)日本政府への忖度のみを取り上げ、(実際にあると言われる)中国政府への忖度を取り上げないのであろうか(そしてその批判に反論しないのであろうか)。こうした問題の取り上げ方自体が中国政府への忖度であるという印象を与え、中国専門家への批判を強める結果になってしまう危険性に、坂元先生はお気づきにならないのだろうか。

 

 第3点は、複合的視点による構造的弱者への目線が欠如していることである。坂元先生はさらに続ける。「そして悪いことに、『中国嫌悪』は右翼系メディアが大歓迎するなか、中国で被害経験をもつ一部の脱中国者らによっても増幅されさえしている」という。言うまでもなく、「中国で被害経験を持つ脱中国者」が、人権侵害をした中国政府を批判するのは構造的弱者として極めて当たり前である。やむなく外国に流れ着いたかれらに、「理性的」に、「中立的」な言語で、「反中的でないメディア」を選んで、「おとなしく」語れ、とでもいうのであろうか。それでは典型的なトーン・ポリーシングになってしまう。もちろん、「構造的弱者」が、同時に別の軸において権力構造に加担し、他者を傷つける「共犯者」となってしまう事もあるが、まずその「被害経験を持つ脱中国者」の声の矮小化に繋がらないか、注意しなければならないのではないか。

 坂元先生は「中国政府の『反民主』『人権侵害』に対する自らの批判を絶対化し、恣意的かつ独善的に「反中」「親中」を色分けし、承認欲をみたしてくれない日本の研究者や出版社にも中傷、嫌がらせを行いさえする」という。これも全く理解できないわけではないし、おそらく辛い経験をされたのではないかと察するが、日本の国立大学の日本出身の教員と、国外に亡命している中国人と、どちらが構造的強者でどちらが弱者か、少し考えてみてはいかがだろうか。むしろ、坂元先生が傷を受けた人の言葉に耳を傾けず、無意識に拒絶している可能性はないのだろうか。

 坂元先生は、「それに対して、『正義』を掲げ、日本のかかえる数々の『反民主』『人権侵害』問題はさしおいて、『上から目線』で同調する日本人もいるが、それが『良識』といえるのか?」と続ける。私は、日本で人権を抑圧する側の人が、中国の人権問題を批判することで自身の加害性をウォッシングし、二項対立的な「先進的な我々日本」対「後進的かれら中国」と規定する人を、疑問符をつけることなしに良識ある人ではないと思う。ただし、坂元先生には、なぜ亡命中国人の多くが結局そういう人々の所に行かざるを得なくなるのか、という構造を問うて欲しい。

 この構造は、かつて戒厳令下の台湾からの亡命者に、日本の左翼が極めて冷たく、かれらが右翼を頼るしかなかった構造と酷似している。日本のインテリは戒厳令下の台湾から亡命し、救いを求める人達をキワモノ扱いして無視していた。あなたが/私が耳を傾けないから、かれらは「良識のない人」を頼るしかなくなっているのではないのか。この構造の形成に、あなたは/私は、全く責任がないのか。坂本先生に、亡命する必要もない日本の市民として学者をしている我々が、そのような構造に加担してしまうことがいつでもあり得るという危険性に、意識を向けていただくことはできないだろうか。

 

 第4に、「招聘された日本からの研究者が事情不明のまま中国に拘留されることがあいついだこともあり、自らも中国行きを控え、学生にも勧められない、当分は交流をみあわせるといった反応もでてきていて、危機感を強くした」とあるが、この「危機感」は一体どちらに向いているのかと首をかしげた。残念ながら中国において、「国家安全」の名の下にいつでも誰でも拘束するのが常態となってしまっているが、それが近年、より多くの外国人・在外華人等にも及ぶようになった。坂元先生の念頭にあるのは、こうした中国の変化への危機感ではなく、「研究者・学生の交流は知る限りにおいて、中国の研究者も強く望んでいるとのことであり、なんとしても途絶えさせてはならないと思う」とあるように、交流が途絶える事への危機感「のみ」だと読めてしまう。もし本当にそうだとしたら、その感覚には絶句してしまう。拘束された方々のご家族がどのような辛い思いをされているか、全く気にしていないという印象さえ与えてしまっているのだ。

 坂元先生の頭にある「日本」には、誰かが拘束されても気にせず中国と交流をしなければならない義務でもあるのだろうか。まさかそんなことはないだろう。もちろん国際交流が止まってしまうことは極めて重大な問題であるが、国際情勢を判断した臨機応変な個々の対応を一面的に否定しかねないその視点について、疑問を呈しておきたい。

むしろ、坂元先生には、日本における中国研究の重鎮として、「訪問者をみだりに拘束するようなことをしていたら、対外交流が途絶えてしまいますよ」というメッセージを是非中国当局に伝えて欲しい。懸念すべき対象は、中国の不当な拘束によって不利益を受ける研究者や学生の反応ではなく、そのような反応を呼び起こしている中国当局だと思うからだ。

 

 第5に、この巻頭言が、現中学会の過去70年の「反思」(省察、反省)になっていないことである。全篇において現中学会の過去は放置され、単なる他者批判で終わっている。学会は、基本的に研究者個人の集まりであるが、多くの会員が中国の公式見解や説明を鵜呑みにして文化大革命の本質を見誤ったという過去もある。せっかくの70周年記念である。中国との関わりにおいて、過去の現中学会の主要メンバーの中国観を反省することをやってもよかったのではないか。それなのに、坂元先生は学会の過去への自省抜きに「中国『脅威』論」と「中国崩壊論」を揶揄するのみである。現中学会に代表される日本の中国研究の70年を「反思」する上で、あまりにバランスが悪くないだろうか。

 

 実は、坂元先生が書かれていることは、それぞれ部分だけを見れば、自分でも思ったり、言ったりしたことがある。私も、日本における「反知性的『中国嫌悪』」には辟易しているし、日本の近代史教育のあり方には問題が多いと思うし、「中国崩壊論」も間違いであったと思う。しかし、全体を通してこればかりであると、やはり、坂元先生は、現代中国をいったいどのように見ているのだろうか、という強い疑問を感じざるを得ない。

 

 もしかして、坂元先生は、この巻頭言は多数の会員から共感を得られるはずだと思って書かれたのではないか。実際に、些かの違和感を覚えながらも強く共感した会員はいるであろう。しかし、私はこの違和感を、決して無視できないと思うし、むしろ危機感を持ってとらえている。日本の現代中国研究を代表する研究者が、このような論調の文章を無防備に書くという行為は、日本社会や国際社会における中国研究者の信用を落とすことにさえなりかねない。このままでは、中国研究者の発言は中国当局者や極端な親中論者とされる人々以外、誰からも耳を傾けてもらえなくなってしまわないか。この巻頭言を読んだ若手研究者の中には、「これが日本の中国研究者の標準なんだ」と衝撃を受けた者も必ずいただろうと思う。

 

 ここまで書いて、私は気持ちが重くなった。自分自身の中国との向き合い方にも反省せざるを得ないことが沢山あるからである。いい加減にごまかしたり、見逃したりしてきたことが山ほどある。「忙しいから」、「自分の専門じゃないから」といって逃げてきた。そんな自分に他人を批判する資格があるのか、と。ただ、そういう感情に襲われるからこそ、坂元先生の巻頭言をあえて批判したい。

 

 現中学会70年への「反思」を一切せず、変化する中国と向き合う緊張感を見せることもなく、ひたすら日本社会批判をしているだけの「70周年記念巻頭言」が、現中学会のニューズレターに掲載されたのは、やはり異様だと思う。この巻頭言は、日本社会に巣喰う「中国嫌悪」という霧霾を払いのけたいという「心の欲するところに従うあまり」、バランスのとれたメッセージを発するべきだという「矩を越えてしまった」作品になってしまったのではないか。坂元先生の普段のご研究やご発信の内容や趣旨との差を強く感じ、極めて残念に思う。

2021年8月24日

2021年5月 1日 (土)

「台湾能,為什麽日本不能?」

転載元:『日本台湾学会ニュースレター』第40号、「巻頭言」20214月、1-2頁。

http://jats.gr.jp/newsletter/newsletter040.pdf

 

「台湾能,為什麽日本不能?」

 

日本台湾学会理事長 松田康博

 

コロナ禍のこの1年余り、日本在住の台湾研究者の最大のストレスは、台湾に行けなくなったことだろう(台湾在住の人も同様に日本に来られなくなった)。あんなに近かったのに、しょっちゅう行けたのに、次に行った時やろうと思っていたことがたくさんあったのに、突然行けなくなるなんて!

 

フィールドワークが必要な領域や、現地の資料を見なければならない領域の研究者は、研究が全く進まない。特に若手研究者は、学位論文が書けなくなり、将来が見通せなくなっている。世界中の人々がコロナ禍で抱えるストレスに加えて、台湾を研究する我々と我々の周りには、こうしたストレスが延々とたまり続けている。

 

台湾研究者なら、もう一つ別なストレスも感じることに、同意する人が多いだろう。それは、日本のコロナ対応が、台湾に比べてあまりに立ち後れていたことである。台湾から「台湾能,為什麽日本不能?(台湾にできて、なぜ日本にできないのか?)」という言葉が聞こえてきたのだ。

 

贅言を要しないが、台湾のコロナ対策はパーフェクトに近い。市中感染がほとんどない上、死者も10数名しかいない。人々はコロナ前に近い生活を送っており、2020年の経済成長率は2.9%を記録し、世界中から賞賛を受けている。

 

私は、コロナ流行の初期である2020 年2月初旬に台湾に出張していたが、すでに病院だけでなく銀行などでも、入り口で検温・消毒させられた。 病院では早くも出入りの導線管理がなされていたし、有名な大病院の医師たちが、テレビに出演して、マスクの仕方や手洗いの仕方に至るまで、丁寧に説明していた。

 

それにひきかえ、日本の対応は、早いもので台湾の2カ月遅れだった。なぜ何もしないのか、な ぜこんなに遅いのか、なぜ入国制限をほとんど放棄しているのか。当時自分がFacebook で書いていたことを見返すと、日本の無為無策と、台湾の素早い対応を、リアルタイムで見比べてしまったがゆえに、相当なストレスを感じていたことに気づかされる。

 

昔、台湾の書店に並んでいた本に、『日本能,為什麽台湾不能?』という題名があったことを思い起こすと、文字通り隔世の感がある。

 

しかしながら、我々にはストレスを嘆いているヒマなどない。台湾のパーフェクトなコロナ対策が生み出した社会的影響がすごかったからだ。それは、ネイション・ビルディングのための「国民戦争の大勝利」のような機能を果たし、より多くの台湾住民が台湾人であることを誇りに思うようになった。唐鳳(オードリー・タン)は、日本でも押しも押されもせぬオピニオンリーダーになった。台湾の声は今や世界に届く。コロナは台湾社会の変化を促進し、台湾と世界との関係を劇的に変える触媒となった。

 

コロナ禍は、我々がオンラインで世界とつながれることを、なかば強制的に教えてくれた。そこで、我々の課題がくっきりと浮かび上がって来た。台湾の友人達は、中国語や英語の世界において、 オンラインでアグレッシブな対外発信を続けている。台湾では明白に「オンライン化=国際化」なのである。これについて行けなければ、またもや「台湾能,為什麽日本不能?」と言われてしまいかねない。

 

日本台湾学会も、この「オンライン化=国際化」の波に洗われている。多くの会員が、台湾やその他の国際会議に誘われる機会が増えたと感じているはずだ。早朝アメリカで講演、午前中に授業、午後に台湾の国際会議、そして夜に仲間内の勉強会に参加、というスケジュールが可能になり、実際に身の回りで起きている。

 

実はコロナ前から本学会は英語による対外発信が求められていた。Journal of Contemporary East Asia Studiesに、日本台湾学会賞受賞作品をコンパクトに英訳して投稿する「対外発信強化プロジェクト」は2020 年に始まった。日本で刊行された台湾研究の専門書の書評原稿や、学術大会の概要を紹介する記事の International Journal of Taiwan Studiesへの提供もすでに始まっている。

 

コロナ後には、2020 10 月2日に行われた第 147 回定例研究会(東京)がある。これは北米台湾研究学会(NATSA)および欧州台湾研究協会(EATS)との共催で、Global Taiwan Cultural Salonと題して英語で行われた。日本台湾学会からも3名の報告者をたてて、活発な議論を展開した。

 

最近の日本台湾学会は中国語のみならず、英語での活動が激増している。台湾人の国際学術活動では英語が主要言語である。こうした動きに、我々は欠席できないのである。

 

ただ、自宅の部屋でパソコンに向かってこんなことばかりしていると、運動不足になり、目も疲れる。台湾の会議でオンライン発表をした後、ぶちっと通信が切れて我に返った後は、異常に虚しい。友人達と食事をしながら談論風発することができず、ぽっかりと心に空いた穴は、簡単に埋まりそうにない。

 

それでも、やはり我々は台湾人に学び、彼らの柔軟性を貪欲に吸収した方が良い。「オンライン化=国際化」の課題から、目を背けてはならない。「台湾能,日本也能」と胸を張って言えるようにしたいものだ。

 

次に台湾を訪れる時は、以前にもまして、どっぷりと台湾につかろう。台湾よ、待っていてくれ。 次に出会うときは、お互い一皮も二皮もむけているはずだ。旧交を温め、励まし合い、飯を食い、たっぷり無駄話をするのだ。

 

その日を夢見て、今日もまたパソコンの画面とにらめっこである。

 

★注記:本文は、冒頭に記した媒体から全文を転載したものである。転載を快諾していただいた同誌編集部にこの場を借りて感謝を申し上げたい。

2020年10月13日 (火)

コロナ禍と学会運営―第22 回学術大会(早稲田大会)を振り返って―

転載元:『日本台湾学会ニュースレター』第39号、「巻頭言」202010月、1-2頁。

(http://www.jats.gr.jp/newsletter/newsletter039-2.pdf)

 

コロナ禍と学会運営―第22 回学術大会(早稲田大会)を振り返って―

日本台湾学会理事長 松田康博

22回学術大会(早稲田大会)は、コロナ禍に翻弄されたものの、分科会・自由論題をオンライン書面方式、シンポジウムをオンライン事前録画・YouTube事後配信という方式で実施にこぎ着けた。この決定過程を会員の皆さんと共有したい。

最大の課題は「不確実性」であった。感染防止対策のため縮小開催で行った202037日の常任理事会は、5月末に行われる学術大会の実施内容を対面で詰める最後の機会だった。しかし、この時点で、果たして2ヶ月半後にコロナが収まっているのか、感染爆発しているのか、会場が使えるのか、わからなかったのだ。

選択肢は、①従来の対面式を準備、②延期、③中止、④オンライン方式、⑤対面式を追求しつつオンラインを準備、の5つあった。まず従来型はないだろうと判断した。延期も日程調整の難しさと不確実性が消えないことから外した。予定通り必ず実施するとしたのが最初の決断である。実施可能な方式が存在している限り、若手研究者の業績になる機会を減らしてはならないと考えたのだ。

次は、④か⑤かの選択である。もしもその時点でオンラインに決めて、2カ月半後実際には対面可能の状態なら、もったいない(「機会費用」発生)。逆に、対面の準備をして、後でオンラインに切り替えると、労力が浪費され、徒労感が募る(「埋没費用」発生)。しかも、完全オンラインに決め打ちすると、開催校である早稲田会場の関与は不要になりかねない。懇親会・会員総会なしで⑤を選択したのはこのためである。

しかも、議論の間に「学術大会を開くなんて非常識。中止にすべき」という強い声があることに気づいた。当時台湾では日本の無為無策に対する失望や怒りの声があった。つまり、この時点で不用意に大会実施をアナウンスすると、「評判費用」が発生する可能性があった。会員が安心できるメッセージを打ち出さなければならなかったのだ。このため、状況を見てオンライン方式に切り替えるというアナウンスが最初になされた。

早稲田会場を使う可能性を残しつつ、埋没費用を抑えるために、シンポジウムのみ対面とオンライン生発信のハイブリッド方式を追求した。ところが、もともと連休明けに会場使用について早稲田の決定を待って決めることにしていたが、緊急事態宣言によりそれをまたずに全面オンラインに事実上切り替えた。

分科会・自由論題は完全オンラインで行うことにしたが、問題は配信方式にするのか、書面方式にするのか、ということであった。当時我々は1カ月後には自分達がオンライン授業をしていることなど想像もできなかった。さまざまな方式を議論した結果、IT弱者を含め全会員が参加して間違いが発生しないのは書面方式であるという結論が導き出された。こうして、機会費用、埋没費用、評判費用の発生を最小限に抑えることができた。

ただ、こうしてきれいに議論を整理すると誤解されるかもしれない。実際の議論はぐしゃぐしゃであり、オンライン方式の技術的な検討は紆余曲折を極めた。ただ、そこは常任理事の皆さんに助けられた。最後に一人ずつ顔を見て、「これで大丈夫だよね」と確認した。みんな本当に頼もしかった。

何よりも、実行委員の皆さんには、この場を借りて改めて感謝の意を表したい。実行委員長の梅森直之さん、委員の明田川聡士さん、家永真幸さん、松岡格さん、新田龍希さん、平井新さん、本当にありがとうございました。また、シンポジウム通訳をこなしてくださった高野華恵さん、周俊宇さん、丁天聖さん、すばらしい通訳に感謝感激です。

最後に、私は台湾に感謝したい。台湾の防疫が成功したことが決定・執行過程に明らかに影響していたからだ。日本台湾学会はコロナ対策で失敗が許されなかったのである。結果として、私の知る限り2つの学会が日本台湾学会を参考にして春の学術大会を実施した。「日本台湾学会方式」は、こうして一度だけの花を咲かせ、実を結んだのである。

 

★注記:本文は、冒頭に記した媒体から全文を転載したものである。転載を快諾していただいた同誌編集部にこの場を借りて感謝を申し上げたい。

コロナ禍と学会運営―第22 回学術大会(早稲田大会)を振り返って―

転載元:『日本台湾学会ニュースレター』第39号、「巻頭言」20204月、1-2頁。

(http://www.jats.gr.jp/newsletter/newsletter039-2.pdf)

 

コロナ禍と学会運営―第22 回学術大会(早稲田大会)を振り返って―

日本台湾学会理事長 松田康博

22回学術大会(早稲田大会)は、コロナ禍に翻弄されたものの、分科会・自由論題をオンライン書面方式、シンポジウムをオンライン事前録画・YouTube事後配信という方式で実施にこぎ着けた。この決定過程を会員の皆さんと共有したい。

最大の課題は「不確実性」であった。感染防止対策のため縮小開催で行った202037日の常任理事会は、5月末に行われる学術大会の実施内容を対面で詰める最後の機会だった。しかし、この時点で、果たして2ヶ月半後にコロナが収まっているのか、感染爆発しているのか、会場が使えるのか、わからなかったのだ。

選択肢は、①従来の対面式を準備、②延期、③中止、④オンライン方式、⑤対面式を追求しつつオンラインを準備、の5つあった。まず従来型はないだろうと判断した。延期も日程調整の難しさと不確実性が消えないことから外した。予定通り必ず実施するとしたのが最初の決断である。実施可能な方式が存在している限り、若手研究者の業績になる機会を減らしてはならないと考えたのだ。

次は、④か⑤かの選択である。もしもその時点でオンラインに決めて、2カ月半後実際には対面可能の状態なら、もったいない(「機会費用」発生)。逆に、対面の準備をして、後でオンラインに切り替えると、労力が浪費され、徒労感が募る(「埋没費用」発生)。しかも、完全オンラインに決め打ちすると、開催校である早稲田会場の関与は不要になりかねない。懇親会・会員総会なしで⑤を選択したのはこのためである。

しかも、議論の間に「学術大会を開くなんて非常識。中止にすべき」という強い声があることに気づいた。当時台湾では日本の無為無策に対する失望や怒りの声があった。つまり、この時点で不用意に大会実施をアナウンスすると、「評判費用」が発生する可能性があった。会員が安心できるメッセージを打ち出さなければならなかったのだ。このため、状況を見てオンライン方式に切り替えるというアナウンスが最初になされた。

早稲田会場を使う可能性を残しつつ、埋没費用を抑えるために、シンポジウムのみ対面とオンライン生発信のハイブリッド方式を追求した。ところが、もともと連休明けに会場使用について早稲田の決定を待って決めることにしていたが、緊急事態宣言によりそれをまたずに全面オンラインに事実上切り替えた。

分科会・自由論題は完全オンラインで行うことにしたが、問題は配信方式にするのか、書面方式にするのか、ということであった。当時我々は1カ月後には自分達がオンライン授業をしていることなど想像もできなかった。さまざまな方式を議論した結果、高齢者を含め全会員が参加して間違いが発生しないのは書面方式であるという結論が導き出された。こうして、機会費用、埋没費用、評判費用の発生を最小限に抑えることができた。

ただ、こうしてきれいに議論を整理すると誤解されるかもしれない。実際の議論はぐしゃぐしゃであり、オンライン方式の技術的な検討は紆余曲折を極めた。ただ、そこは常任理事の皆さんに助けられた。最後に一人ずつ顔を見て、「これで大丈夫だよね」と確認した。みんな本当に頼もしかった。

何よりも、実行委員の皆さんには、この場を借りて改めて感謝の意を表したい。実行委員長の梅森直之さん、委員の明田川聡士さん、家永真幸さん、松岡格さん、新田龍希さん、平井新さん、本当にありがとうございました。また、シンポジウム通訳をこなしてくださった高野華恵さん、周俊宇さん、丁天聖さん、すばらしい通訳に感謝感激です。

最後に、私は台湾に感謝したい。台湾の防疫が成功したことが決定・執行過程に明らかに影響していたからだ。日本台湾学会はコロナ対策で失敗が許されなかったのである。結果として、私の知る限り2つの学会が日本台湾学会を参考にして春の学術大会を実施した。「日本台湾学会方式」は、こうして一度だけの花を咲かせ、実を結んだのである。

 

★注記:本文は、冒頭に記した媒体から全文を転載したものである。転載を快諾していただいた同誌編集部にこの場を借りて感謝を申し上げたい。

2020年9月 6日 (日)

台湾と言えば選挙、選挙と言えば台湾

転載元:『日本台湾学会ニュースレター』第38号、「巻頭言」20204月、1-2頁。

http://jats.gr.jp/newsletter/newsletter038.pdf

 

台湾と言えば選挙、選挙と言えば台湾

 

松田康博

 

台湾の選挙は面白い。

選挙キャンペーンはアメリカ式だが、「桃太郎旗」と呼ばれた旗は日本の影響である。「造勢」会場では、台湾式に屋台が並び、大量の選挙グッズが売り出されている。大音量の音楽やスローガンで、非日常を味わえる。SNSではさまざまな動画や書き込みが跳梁跋扈している。見ていて飽きない。

選挙に関する言葉も面白い。票に関しては、「監票」、「買票」、「拉票」、「配票」、「催票」、「拝票」、集会では「造勢」、「凍蒜」、選挙情勢では、「基本盤」、「開高走低」、「崩盤」(株式市場や賭博場の用語が多い)、投票戦略では、「棄保」、縁起物では「好彩頭」、歌では「愛拼才会贏」などがある。どれも生き生きとしていて、ワイドショーの選挙分析は講談で戦記物を聞いているような感じだ。

何よりも、台湾の選挙はプロセスも結果も劇的である。「台湾は裏切らない」というのは長年の実感であるが、「どうせ中国にはかなわない」とか「今回の選挙は盛り上がらない」とか言われていても、最後はやっぱり盛り上がる。2020年の選挙では、韓国瑜というトリックスターの独壇場にみえたが、香港情勢の悪化もあり、蔡英文が史上最高得票で大逆転を果たした。

私と台湾の選挙との出会いは30年近く前にさかのぼる。1992年初頭、大学院生だった私が、本学会の前身の一つとも言える現代東京台湾研究会の定例研究会で、民主的移行期最初の出直し選挙である、第2期国民大会代表選挙の研究報告を聞いたのが、台湾の選挙との再会であった。

今や台湾の選挙といえば、小笠原欣幸会員の独壇場の観があるが、そのときの報告者は、若林正丈会員(元理事長)であった。当時ヒゲがなかった。憲法改正のため4分の3以上の議席をとることを、宋楚瑜国民党秘書長が「高難度的目標」と言ったこと、民進党が台湾独立の訴えを強めたことがマイナスに働いたことなどを聞いて、直感的に「選挙を見に行かなきゃ」と思った。

とはいえ当時、台湾に行くことは結構大変であった。しかも私は1950年代の研究をしていたから選挙を見に行く必要は特になかった。おまけに92年から公務員になったから年間20日の有給休暇を博論の資料集めに充てなければならない。その研究資源を選挙見物に割けるか、というのが正直なところだった。

そこで、私は199212月に行われた第2期立法委員選挙から、投票日の直前に到着し、選挙集会をはしごして見に行き、開票日の翌日に新聞を全紙買って読み、それから約1週間台北に滞在して博論資料集めをしながら、友人と議論して、選挙プロセスと結果の意味を吟味して帰る、というスタイルを取るようになった。小笠原会員はいわゆる現地取材をする「地上戦」主体の「前派」であるが、私が「空中戦」主体の「後派」となったのは、こうした制約による。

それからずっとこのスタイルを続けた。とにかく台湾の人達と一緒に選挙を経験し、議論していくことが重要なのだ。なぜなら、台湾社会は選挙のたびに一皮もふた皮もむけていって、社会の風景がガラッと変わるからだ。

その中でも、私が強く感じていることが3つ有る。1つは、「行動を起こした後に発生する民意の変化を予測して行動する者が勝利する」という法則である。李登輝は直接選挙を導入して自分が出馬すれば民主化は進み、自分も勝てると確信して憲法改正をした。陳水扁は公民投票を導入すれば劣勢を挽回できると賭けに出て、再選を果たした。馬英九も蔡英文も、それまで無理だと思われていた中国大陸との関係の変更を打ち出して勝っている。台湾社会はギャンブラーの天下なのである。

2つ目は、「予測可能なことは前倒しで発生する」という法則である。「この人は次の選挙では注目株だな」と思っていたら、たいてい今回の選挙で出馬してしまう。台湾人は「待ちきれない」人達の集団であり、いつも先読みばかりしている。陳水扁は明らかに2004年以降の総統選に出るはずだったが2000年に当選してしまった。高雄市長に当選したばかりの韓国瑜が就任直後に総統選に出馬したのも好例である。逆に言えば、台湾では期待された時に常識的に行動すると、政治生命が終わってしまうのだ。

3つ目は、「評論家のロジックと当事者のロジックは大きく異なる」という法則である。台湾では、客観的にあり得ないと思えることが平然と発生する。2004年選挙での連戦・宋楚瑜ペアの成立と敗北は、理屈を超えた野合であった。今回も支持率が数パーセントしかない呉敦義や王金平が総統選出馬や影響力保持にこだわり、国民党の敗北の遠因となった。政治家のこだわりや計算は傍観者にはわかりにくい。当事者になりきらないと、台湾の選挙政治は先が読めないのである。

畢竟、台湾の選挙政治は市場政治である。待ちきれない有権者の海に、あまたのギャンブラーたちが、勘と鮮度に頼って自分を売り込みに飛び込んでいく。そして時には中国やアメリカを振り回し、怒涛のような投票結果で、台湾の存在と民意を世界に示すのである。そして台湾人たちは、投票の翌日、家族や友人と食事をしながら選挙結果の意味をかみしめ、週明けに日常に戻っていく。

こんな面白い現象は、政治学だけで研究するのはもったいないとつくづく思う。台湾といえば選挙、選挙といえば台湾。ディシプリンにかかわらず、是非サイドワークとして一緒に選挙観察していっていただきたいと思う。

 

★注記:本文は、冒頭に記した媒体から全文を転載したものである。転載を快諾していただいた同誌編集部にこの場を借りて感謝を申し上げたい。なお、特集名は「食べる台湾」であり、日本の台湾専門家たちの食の記憶が開陳されている。併せてお読みいただきたい。

2020年1月14日 (火)

奇跡の逆転大勝利

奇跡の逆転大勝利である。

2018年11月に行われた台湾の統一地方選挙で、蔡英文政権は最大野党、中国国民党に大敗北を喫していたからである。陣営内部では、賴清徳前行政院長(首相)が党内予備選で蔡に挑戦するなど分裂含みだったが、蔡総統が勝利し、尻上がりで国民党を逆転した。

総統選で蔡氏は約817万票(得票率57.13%)を獲得し、中国国民党(国民党)の韓国瑜・高雄市長(約522万票、38.61%)を260万票余りの差で退けた。得票数は、過去の総統選挙で最多となる圧勝であった。民進党は立法委員(国会議員)選挙(定数:113 議席)でも、61 人が当選して過半数を獲得した(国民党は38 議席)。

この大逆転が起きた原因は何か。第は、外部環境の変化だ。習近平政権は191月に台湾に対して「一国家二制度の台湾版」を話し合うことを呼びかけた。しかも、一国家二制度が実施されている香港で、容疑者引き渡し条例(逃亡犯条例)の制定過程で、民主派を主とする広範な香港住民の反対運動が起き、6月以降、取り締まりと反対運動がともに暴力化し、泥沼に陥った。習氏の呼びかけと林鄭月娥(キャリー・ラ
ム)行政長官の拙劣な対応は、台湾で反発と危機感を産んだだけだった。

蔡政権は、習近平の呼びかけた一国家二制度をきっぱりと拒絶し、香港の反対運動に同情を示した。さらに蔡政権は国家安全保障関連の法制度を整備して、中国の台湾への浸透工作ができないように手を打った。一方で、中国との関係改善により金儲けをしようという主張を掲げていた国民党は、中国に対して煮え切らない態度に終始した。誰が台湾を守ってくれるのかという印象において、両者の違いは明確であった。

の要因は、国民党の内部分裂状態である。統一地方選挙直後の世論調査では、朱立倫前新北市市長がトップランナーであった。ところが、国民党の呉敦義主席(党首)は、自身の出馬にこだわり、朱を抑え込むため世論調査の対象に、当選まもない韓国瑜高雄市長の名前を入れたところ、韓がトップに躍り出たのであった。

呉氏は世論調査の数字が上がらず出馬を断念した。ただし韓が本気で総統選挙にでると思った人はほとんどいなかった。そこに鴻海精密工業の創業者、郭台銘氏が国民党の馬英九前総統などの後押しで予備選に参加した。ところが、熱狂的支持者を擁する韓氏は、郭氏を破って公認候補になった。

ところが、熱狂的支持者を擁する韓は、郭を破って公式の候補になった。郭は9月に国民党に離党して党外から出馬を検討したが、断念。しかし、郭は24年の総統選に再挑戦するため、韓の足を引っ張った。そして韓氏は、政策を語ることなく民進党をののしり続け、総統としての資質を疑われたのである。

分裂劇を続け、女性蔑視発言を含む古くさい体質を見せつけた国民党への失望や怒りは、対中警戒感の高まりとともに、蔡英文・民進党政権に対する若者の支持を強化した。蔡英文政権は、引き続き中台関係の現状を維持し、民意をバックに内政面での改革に注力し、同時に米台自由貿易協定締結や環太平洋連携協定(TPP 11、CPTPP)加盟などに挑戦することになるだろう。

*本稿は『The Daily NNA 台湾版』第04972号(2020年1月14日)に寄稿した評論である。本ブログに転載を許可していただいた編集部に御礼を申し上げる。

2019年1月14日 (月)

頼氏の総統選出馬「簡単ではない」

1月11日に、民進党の切り札、賴清徳が行政院長職を辞任した。これは、不人気な蔡英文総統を降ろして総統候補になるためだろうか。現実は単純ではない。第1に、現職の総統は統治を一瞬も放棄できないのであり、常に最有力候補である。第2に、賴は国際派の蔡に敬意を持っており、迷いがある。もしも賴が蔡に挑戦するつもりなら、昨年11月の地方選挙大敗直後に辞任し、人気集めの言動をしてきたはずだ。第3に、党内で蔡支持の勢力はいまだ根強い。長年劣勢を跳ね返して国民党に対抗してきた民進党は、団結を何よりも重視する。賴は、先に国民党で誰が候補になるかを見極めてから、出馬表明をするか、副総統候補を受けるかなどを決めるのではないか。

*本稿は『The Daily NNA台湾版』第04729号(2019年1月14日)に寄稿した評論である。本ブログに転載を許可していただいた編集部に御礼を申し上げる。

2019年1月 4日 (金)

●時間泥棒やめようね③マイナンバーをオンライン登録させるのはやめて!

「うわっ、また来た・・・」、さて、どうしよう!?マイナンバーをオンライン登録してください、というメールである。私は、年に10回以上マイナンバー登録をしなければならない状況にある。原稿料やら講演料の源泉徴収のためである。そのために年末から年明けにかけて、マイナンバーカードのコピーを持ち歩いている。そして、こうしたオンライン登録の依頼は、わずか2回目である。1回目の時は、その会社に苦言を呈し、コピーを郵送することで、事なきを得た。


しかし、ついに2回目がやってきた。ということは、「マイナンバーをオンライン登録しよう」という会社が増えている可能性があるのだ。もはや看過できない・・・。という理由で、原稿の執筆やら校正やら学生の推薦状やらが山ほどたまっているこの時に、私はこのブログを書くことを決心したのだ。


現代人は、文理を問わず、さまざまなオンラインのシステムに対応しなければならない。あらゆることで、自己のアカウントを作り、パスワードを登録し、オンラインで手続きを取らなければならない。もはや避けられないのだ。仕事なら仕方ない。しかも、どのシステムもしょっちゅう使って慣れてくれば、まあ便利だと思えてくるものである。


他方、仕事以外の場合、たとえば、自分の誕生日に来るさまざまな景品付きメールであるが、そんな一発勝負のメールを、私は完無視することに決めている。時間のムダであるし、どうせたいした景品はもらえない。そのためにまた自分の個人情報を新たに登録し、そのことでさらに多くの迷惑メールが押し寄せ、自分の将来の時間がたっぷり削られるだけである。そんな景品をもらうのに時間を使うくらいなら、その時間でどこかに一本謝礼つきの原稿を書けば、10回の誕生日分の景品を買える金額をはるかにこえる原稿料がゲットできるだろう。


ところが、マイナンバーのオンライン登録は違う。これは納税者として、やらなければならないからである。しかも、オンライン登録のために、やることが膨大にある。たった1回のために。


まず、来た依頼メールを疑わなければならない。「●●さま、こういうところから依頼が来たのですが、これは本物ですか?」ということを聞いて、返事をもらって、確認してからスタートできる。これが郵便で返信しろというのなら、宛先の住所を検索するだけで、おおよその判断が出来る。


次に、IDとパスワードを入力して、自分のアカウントにアクセスしなければならない。そして、長大かつ綺麗に作ってあるマニュアルを熟読しなければならない!!!それから、マイナンバーをスマホで撮影してアップし(PDFではだめだったりする)、その後には、その画像を消さなければならないのだ!私が、1回目の依頼を断った際、イラつきながら書いた2年前のメールの一部を編集してここに再現することにしよう。


------------------------

●●さま


マイナンバーの登録について苦言です。●●●●社というところからオンライン登録せよと何度も来ましたが、なかなかできません。そもそもこれは御社の依頼で間違いありませんか?


私は、たいていメールは移動中にスマホで処理するのですが、この登録はスマホではできません。卓上のパソコンに向かってやってみると、画像を送れということで、パソコンではできません。PDFにスキャンすると、それでは受け付けてくれません。マニュアルを読み直しているうちに20分過ぎてしまいました。ようするに、御社のみに対応するために、マニュアルを熟読し、「このためだけに」マイナンバーをスマホで写真にとり、パソコンを使ってアップしなければならない、という極めてストレスフルなやり方になっています。しかもその写真は、プライバシーを守るために、すぐに消す必要があります。どれだけ手間暇をかけさせるのか!という感じです。しかも、御社だけのために。1回だけのために。


あまた対応しましたが、最もやりにくく、不合理を感じました。他の多くがやっているように、コピーを郵送させ、私にはマイナンバーの欄をブランクにした源泉徴収票を送る、ということはできませんか?確定申告の時に、私が自分で書き込めばいいだけではないですか?


それでよければ3分で対応できます。マイナンバーのコピーは常に持ち歩いてますから。郵送でよいなら、私は毎回同じ動作をするだけですむのです。もちろん、もしも、全ての会社が御社と同じシステムに入力するよう要求するのであれば、このオンライン登録をすることには意味があります(ネットワーク外部性です)。でもそれは自明ではありません。システム会社の宣伝か営業に負けて、御社がこういうシステムに手を出すのはいかがなものかと思います。御社は膨大なお金を掛けて、ご自分の時間を生み出しているのかもしれませんが、我々はそのせいで膨大な時間を費やさなければならないのです。


理系の人はたいてい、全ての人が自分と同じくらいの能力があることと、自分の作ったシステムを理解するために、全ての人がいくらでも時間と労力を費やすことを当然視しています。そのために、テクノロジーが発達するにつれ、恐ろしく面倒な社会が構築され、個々人が対応できなくなり、全体として破綻していくのです。毎日そう感じています。


源泉徴収票も、会社によっては、メールの添付ファイルで送ってきます。それで充分です。できませんでしょうか?できるのであれば、すぐに郵送します。


おとなしく従わない人が一人でもいないと何も変わらないと思い、筆をとりました。想像して見てください。もしも、たとえば20社から、それぞれ全く異なるシステムでマイナンバーのオンライン登録をするように依頼されたら、どうなるでしょう?私は20の異なるマニュアルを熟読して対応しなければなりません。それぞれたった1回の登録のために!です。そしてどこかに間違ってアップするリスクを抱えながら、私はマイナンバーの写真を20回撮って、20回消せと言われるのです。


どうか、再検討してください。ご無礼、お許し下さい。

------------------------


この会社の方は、私のこの不満たらたらの不躾なメールに対して、誠実に対応してくださり、コピーの郵送に切り替えてくださった。頭が下がる。こんな不愉快なメール、出している私も胃が痛むし、もらうほうも、困っちゃうだろうな・・・。


ごめんなさい。私はITに弱いのです。異なる規格の複数のオンライン作業を、どれだけ時間がかかるかわからないのに、即座にサクサクと処理できるような能力が、私には欠けているのです。私は、一つでもミスしたら絶対前に進めないよう設計されているシステムに対応するために、かなりの集中力と時間を使ってしまう社会的弱者なのです。でも、なんとなく感じています。これは私だけの欠点ではないということを。もしも世の中の主流が、「自分だけが楽になり、全ての負担を相手に押しつけるシステム」になってしまったら、どうなるのでしょうか?結局みんなが不便になるのではないですか?依頼する側が、依頼される側の負担を考えて事務作業をしていく社会の方が、回り回って、結局みんなが助かる社会なのではないでしょうか?あなたの時間も、私の時間も大切なのです。塵も積もれば山となる。時間泥棒になるのはやめようね。(2019年1月3日)


«再選に黄信号がともった蔡総統