2020年10月13日 (火)

コロナ禍と学会運営―第22 回学術大会(早稲田大会)を振り返って―

転載元:『日本台湾学会ニュースレター』第39号、「巻頭言」202010月、1-2頁。

(http://www.jats.gr.jp/newsletter/newsletter039-2.pdf)

 

コロナ禍と学会運営―第22 回学術大会(早稲田大会)を振り返って―

日本台湾学会理事長 松田康博

22回学術大会(早稲田大会)は、コロナ禍に翻弄されたものの、分科会・自由論題をオンライン書面方式、シンポジウムをオンライン事前録画・YouTube事後配信という方式で実施にこぎ着けた。この決定過程を会員の皆さんと共有したい。

最大の課題は「不確実性」であった。感染防止対策のため縮小開催で行った202037日の常任理事会は、5月末に行われる学術大会の実施内容を対面で詰める最後の機会だった。しかし、この時点で、果たして2ヶ月半後にコロナが収まっているのか、感染爆発しているのか、会場が使えるのか、わからなかったのだ。

選択肢は、①従来の対面式を準備、②延期、③中止、④オンライン方式、⑤対面式を追求しつつオンラインを準備、の5つあった。まず従来型はないだろうと判断した。延期も日程調整の難しさと不確実性が消えないことから外した。予定通り必ず実施するとしたのが最初の決断である。実施可能な方式が存在している限り、若手研究者の業績になる機会を減らしてはならないと考えたのだ。

次は、④か⑤かの選択である。もしもその時点でオンラインに決めて、2カ月半後実際には対面可能の状態なら、もったいない(「機会費用」発生)。逆に、対面の準備をして、後でオンラインに切り替えると、労力が浪費され、徒労感が募る(「埋没費用」発生)。しかも、完全オンラインに決め打ちすると、開催校である早稲田会場の関与は不要になりかねない。懇親会・会員総会なしで⑤を選択したのはこのためである。

しかも、議論の間に「学術大会を開くなんて非常識。中止にすべき」という強い声があることに気づいた。当時台湾では日本の無為無策に対する失望や怒りの声があった。つまり、この時点で不用意に大会実施をアナウンスすると、「評判費用」が発生する可能性があった。会員が安心できるメッセージを打ち出さなければならなかったのだ。このため、状況を見てオンライン方式に切り替えるというアナウンスが最初になされた。

早稲田会場を使う可能性を残しつつ、埋没費用を抑えるために、シンポジウムのみ対面とオンライン生発信のハイブリッド方式を追求した。ところが、もともと連休明けに会場使用について早稲田の決定を待って決めることにしていたが、緊急事態宣言によりそれをまたずに全面オンラインに事実上切り替えた。

分科会・自由論題は完全オンラインで行うことにしたが、問題は配信方式にするのか、書面方式にするのか、ということであった。当時我々は1カ月後には自分達がオンライン授業をしていることなど想像もできなかった。さまざまな方式を議論した結果、IT弱者を含め全会員が参加して間違いが発生しないのは書面方式であるという結論が導き出された。こうして、機会費用、埋没費用、評判費用の発生を最小限に抑えることができた。

ただ、こうしてきれいに議論を整理すると誤解されるかもしれない。実際の議論はぐしゃぐしゃであり、オンライン方式の技術的な検討は紆余曲折を極めた。ただ、そこは常任理事の皆さんに助けられた。最後に一人ずつ顔を見て、「これで大丈夫だよね」と確認した。みんな本当に頼もしかった。

何よりも、実行委員の皆さんには、この場を借りて改めて感謝の意を表したい。実行委員長の梅森直之さん、委員の明田川聡士さん、家永真幸さん、松岡格さん、新田龍希さん、平井新さん、本当にありがとうございました。また、シンポジウム通訳をこなしてくださった高野華恵さん、周俊宇さん、丁天聖さん、すばらしい通訳に感謝感激です。

最後に、私は台湾に感謝したい。台湾の防疫が成功したことが決定・執行過程に明らかに影響していたからだ。日本台湾学会はコロナ対策で失敗が許されなかったのである。結果として、私の知る限り2つの学会が日本台湾学会を参考にして春の学術大会を実施した。「日本台湾学会方式」は、こうして一度だけの花を咲かせ、実を結んだのである。

 

★注記:本文は、冒頭に記した媒体から全文を転載したものである。転載を快諾していただいた同誌編集部にこの場を借りて感謝を申し上げたい。

コロナ禍と学会運営―第22 回学術大会(早稲田大会)を振り返って―

転載元:『日本台湾学会ニュースレター』第39号、「巻頭言」20204月、1-2頁。

(http://www.jats.gr.jp/newsletter/newsletter039-2.pdf)

 

コロナ禍と学会運営―第22 回学術大会(早稲田大会)を振り返って―

日本台湾学会理事長 松田康博

22回学術大会(早稲田大会)は、コロナ禍に翻弄されたものの、分科会・自由論題をオンライン書面方式、シンポジウムをオンライン事前録画・YouTube事後配信という方式で実施にこぎ着けた。この決定過程を会員の皆さんと共有したい。

最大の課題は「不確実性」であった。感染防止対策のため縮小開催で行った202037日の常任理事会は、5月末に行われる学術大会の実施内容を対面で詰める最後の機会だった。しかし、この時点で、果たして2ヶ月半後にコロナが収まっているのか、感染爆発しているのか、会場が使えるのか、わからなかったのだ。

選択肢は、①従来の対面式を準備、②延期、③中止、④オンライン方式、⑤対面式を追求しつつオンラインを準備、の5つあった。まず従来型はないだろうと判断した。延期も日程調整の難しさと不確実性が消えないことから外した。予定通り必ず実施するとしたのが最初の決断である。実施可能な方式が存在している限り、若手研究者の業績になる機会を減らしてはならないと考えたのだ。

次は、④か⑤かの選択である。もしもその時点でオンラインに決めて、2カ月半後実際には対面可能の状態なら、もったいない(「機会費用」発生)。逆に、対面の準備をして、後でオンラインに切り替えると、労力が浪費され、徒労感が募る(「埋没費用」発生)。しかも、完全オンラインに決め打ちすると、開催校である早稲田会場の関与は不要になりかねない。懇親会・会員総会なしで⑤を選択したのはこのためである。

しかも、議論の間に「学術大会を開くなんて非常識。中止にすべき」という強い声があることに気づいた。当時台湾では日本の無為無策に対する失望や怒りの声があった。つまり、この時点で不用意に大会実施をアナウンスすると、「評判費用」が発生する可能性があった。会員が安心できるメッセージを打ち出さなければならなかったのだ。このため、状況を見てオンライン方式に切り替えるというアナウンスが最初になされた。

早稲田会場を使う可能性を残しつつ、埋没費用を抑えるために、シンポジウムのみ対面とオンライン生発信のハイブリッド方式を追求した。ところが、もともと連休明けに会場使用について早稲田の決定を待って決めることにしていたが、緊急事態宣言によりそれをまたずに全面オンラインに事実上切り替えた。

分科会・自由論題は完全オンラインで行うことにしたが、問題は配信方式にするのか、書面方式にするのか、ということであった。当時我々は1カ月後には自分達がオンライン授業をしていることなど想像もできなかった。さまざまな方式を議論した結果、高齢者を含め全会員が参加して間違いが発生しないのは書面方式であるという結論が導き出された。こうして、機会費用、埋没費用、評判費用の発生を最小限に抑えることができた。

ただ、こうしてきれいに議論を整理すると誤解されるかもしれない。実際の議論はぐしゃぐしゃであり、オンライン方式の技術的な検討は紆余曲折を極めた。ただ、そこは常任理事の皆さんに助けられた。最後に一人ずつ顔を見て、「これで大丈夫だよね」と確認した。みんな本当に頼もしかった。

何よりも、実行委員の皆さんには、この場を借りて改めて感謝の意を表したい。実行委員長の梅森直之さん、委員の明田川聡士さん、家永真幸さん、松岡格さん、新田龍希さん、平井新さん、本当にありがとうございました。また、シンポジウム通訳をこなしてくださった高野華恵さん、周俊宇さん、丁天聖さん、すばらしい通訳に感謝感激です。

最後に、私は台湾に感謝したい。台湾の防疫が成功したことが決定・執行過程に明らかに影響していたからだ。日本台湾学会はコロナ対策で失敗が許されなかったのである。結果として、私の知る限り2つの学会が日本台湾学会を参考にして春の学術大会を実施した。「日本台湾学会方式」は、こうして一度だけの花を咲かせ、実を結んだのである。

 

★注記:本文は、冒頭に記した媒体から全文を転載したものである。転載を快諾していただいた同誌編集部にこの場を借りて感謝を申し上げたい。

2020年9月 6日 (日)

台湾と言えば選挙、選挙と言えば台湾

転載元:『日本台湾学会ニュースレター』第38号、「巻頭言」20204月、1-2頁。

http://jats.gr.jp/newsletter/newsletter038.pdf

 

台湾と言えば選挙、選挙と言えば台湾

 

松田康博

 

台湾の選挙は面白い。

選挙キャンペーンはアメリカ式だが、「桃太郎旗」と呼ばれた旗は日本の影響である。「造勢」会場では、台湾式に屋台が並び、大量の選挙グッズが売り出されている。大音量の音楽やスローガンで、非日常を味わえる。SNSではさまざまな動画や書き込みが跳梁跋扈している。見ていて飽きない。

選挙に関する言葉も面白い。票に関しては、「監票」、「買票」、「拉票」、「配票」、「催票」、「拝票」、集会では「造勢」、「凍蒜」、選挙情勢では、「基本盤」、「開高走低」、「崩盤」(株式市場や賭博場の用語が多い)、投票戦略では、「棄保」、縁起物では「好彩頭」、歌では「愛拼才会贏」などがある。どれも生き生きとしていて、ワイドショーの選挙分析は講談で戦記物を聞いているような感じだ。

何よりも、台湾の選挙はプロセスも結果も劇的である。「台湾は裏切らない」というのは長年の実感であるが、「どうせ中国にはかなわない」とか「今回の選挙は盛り上がらない」とか言われていても、最後はやっぱり盛り上がる。2020年の選挙では、韓国瑜というトリックスターの独壇場にみえたが、香港情勢の悪化もあり、蔡英文が史上最高得票で大逆転を果たした。

私と台湾の選挙との出会いは30年近く前にさかのぼる。1992年初頭、大学院生だった私が、本学会の前身の一つとも言える現代東京台湾研究会の定例研究会で、民主的移行期最初の出直し選挙である、第2期国民大会代表選挙の研究報告を聞いたのが、台湾の選挙との再会であった。

今や台湾の選挙といえば、小笠原欣幸会員の独壇場の観があるが、そのときの報告者は、若林正丈会員(元理事長)であった。当時ヒゲがなかった。憲法改正のため4分の3以上の議席をとることを、宋楚瑜国民党秘書長が「高難度的目標」と言ったこと、民進党が台湾独立の訴えを強めたことがマイナスに働いたことなどを聞いて、直感的に「選挙を見に行かなきゃ」と思った。

とはいえ当時、台湾に行くことは結構大変であった。しかも私は1950年代の研究をしていたから選挙を見に行く必要は特になかった。おまけに92年から公務員になったから年間20日の有給休暇を博論の資料集めに充てなければならない。その研究資源を選挙見物に割けるか、というのが正直なところだった。

そこで、私は199212月に行われた第2期立法委員選挙から、投票日の直前に到着し、選挙集会をはしごして見に行き、開票日の翌日に新聞を全紙買って読み、それから約1週間台北に滞在して博論資料集めをしながら、友人と議論して、選挙プロセスと結果の意味を吟味して帰る、というスタイルを取るようになった。小笠原会員はいわゆる現地取材をする「地上戦」主体の「前派」であるが、私が「空中戦」主体の「後派」となったのは、こうした制約による。

それからずっとこのスタイルを続けた。とにかく台湾の人達と一緒に選挙を経験し、議論していくことが重要なのだ。なぜなら、台湾社会は選挙のたびに一皮もふた皮もむけていって、社会の風景がガラッと変わるからだ。

その中でも、私が強く感じていることが3つ有る。1つは、「行動を起こした後に発生する民意の変化を予測して行動する者が勝利する」という法則である。李登輝は直接選挙を導入して自分が出馬すれば民主化は進み、自分も勝てると確信して憲法改正をした。陳水扁は公民投票を導入すれば劣勢を挽回できると賭けに出て、再選を果たした。馬英九も蔡英文も、それまで無理だと思われていた中国大陸との関係の変更を打ち出して勝っている。台湾社会はギャンブラーの天下なのである。

2つ目は、「予測可能なことは前倒しで発生する」という法則である。「この人は次の選挙では注目株だな」と思っていたら、たいてい今回の選挙で出馬してしまう。台湾人は「待ちきれない」人達の集団であり、いつも先読みばかりしている。陳水扁は明らかに2004年以降の総統選に出るはずだったが2000年に当選してしまった。高雄市長に当選したばかりの韓国瑜が就任直後に総統選に出馬したのも好例である。逆に言えば、台湾では期待された時に常識的に行動すると、政治生命が終わってしまうのだ。

3つ目は、「評論家のロジックと当事者のロジックは大きく異なる」という法則である。台湾では、客観的にあり得ないと思えることが平然と発生する。2004年選挙での連戦・宋楚瑜ペアの成立と敗北は、理屈を超えた野合であった。今回も支持率が数パーセントしかない呉敦義や王金平が総統選出馬や影響力保持にこだわり、国民党の敗北の遠因となった。政治家のこだわりや計算は傍観者にはわかりにくい。当事者になりきらないと、台湾の選挙政治は先が読めないのである。

畢竟、台湾の選挙政治は市場政治である。待ちきれない有権者の海に、あまたのギャンブラーたちが、勘と鮮度に頼って自分を売り込みに飛び込んでいく。そして時には中国やアメリカを振り回し、怒涛のような投票結果で、台湾の存在と民意を世界に示すのである。そして台湾人たちは、投票の翌日、家族や友人と食事をしながら選挙結果の意味をかみしめ、週明けに日常に戻っていく。

こんな面白い現象は、政治学だけで研究するのはもったいないとつくづく思う。台湾といえば選挙、選挙といえば台湾。ディシプリンにかかわらず、是非サイドワークとして一緒に選挙観察していっていただきたいと思う。

 

★注記:本文は、冒頭に記した媒体から全文を転載したものである。転載を快諾していただいた同誌編集部にこの場を借りて感謝を申し上げたい。なお、特集名は「食べる台湾」であり、日本の台湾専門家たちの食の記憶が開陳されている。併せてお読みいただきたい。

2020年1月14日 (火)

奇跡の逆転大勝利

奇跡の逆転大勝利である。

2018年11月に行われた台湾の統一地方選挙で、蔡英文政権は最大野党、中国国民党に大敗北を喫していたからである。陣営内部では、賴清徳前行政院長(首相)が党内予備選で蔡に挑戦するなど分裂含みだったが、蔡総統が勝利し、尻上がりで国民党を逆転した。

総統選で蔡氏は約817万票(得票率57.13%)を獲得し、中国国民党(国民党)の韓国瑜・高雄市長(約522万票、38.61%)を260万票余りの差で退けた。得票数は、過去の総統選挙で最多となる圧勝であった。民進党は立法委員(国会議員)選挙(定数:113 議席)でも、61 人が当選して過半数を獲得した(国民党は38 議席)。

この大逆転が起きた原因は何か。第は、外部環境の変化だ。習近平政権は191月に台湾に対して「一国家二制度の台湾版」を話し合うことを呼びかけた。しかも、一国家二制度が実施されている香港で、容疑者引き渡し条例(逃亡犯条例)の制定過程で、民主派を主とする広範な香港住民の反対運動が起き、6月以降、取り締まりと反対運動がともに暴力化し、泥沼に陥った。習氏の呼びかけと林鄭月娥(キャリー・ラ
ム)行政長官の拙劣な対応は、台湾で反発と危機感を産んだだけだった。

蔡政権は、習近平の呼びかけた一国家二制度をきっぱりと拒絶し、香港の反対運動に同情を示した。さらに蔡政権は国家安全保障関連の法制度を整備して、中国の台湾への浸透工作ができないように手を打った。一方で、中国との関係改善により金儲けをしようという主張を掲げていた国民党は、中国に対して煮え切らない態度に終始した。誰が台湾を守ってくれるのかという印象において、両者の違いは明確であった。

の要因は、国民党の内部分裂状態である。統一地方選挙直後の世論調査では、朱立倫前新北市市長がトップランナーであった。ところが、国民党の呉敦義主席(党首)は、自身の出馬にこだわり、朱を抑え込むため世論調査の対象に、当選まもない韓国瑜高雄市長の名前を入れたところ、韓がトップに躍り出たのであった。

呉氏は世論調査の数字が上がらず出馬を断念した。ただし韓が本気で総統選挙にでると思った人はほとんどいなかった。そこに鴻海精密工業の創業者、郭台銘氏が国民党の馬英九前総統などの後押しで予備選に参加した。ところが、熱狂的支持者を擁する韓氏は、郭氏を破って公認候補になった。

ところが、熱狂的支持者を擁する韓は、郭を破って公式の候補になった。郭は9月に国民党に離党して党外から出馬を検討したが、断念。しかし、郭は24年の総統選に再挑戦するため、韓の足を引っ張った。そして韓氏は、政策を語ることなく民進党をののしり続け、総統としての資質を疑われたのである。

分裂劇を続け、女性蔑視発言を含む古くさい体質を見せつけた国民党への失望や怒りは、対中警戒感の高まりとともに、蔡英文・民進党政権に対する若者の支持を強化した。蔡英文政権は、引き続き中台関係の現状を維持し、民意をバックに内政面での改革に注力し、同時に米台自由貿易協定締結や環太平洋連携協定(TPP 11、CPTPP)加盟などに挑戦することになるだろう。

*本稿は『The Daily NNA 台湾版』第04972号(2020年1月14日)に寄稿した評論である。本ブログに転載を許可していただいた編集部に御礼を申し上げる。

2019年1月14日 (月)

頼氏の総統選出馬「簡単ではない」

1月11日に、民進党の切り札、賴清徳が行政院長職を辞任した。これは、不人気な蔡英文総統を降ろして総統候補になるためだろうか。現実は単純ではない。第1に、現職の総統は統治を一瞬も放棄できないのであり、常に最有力候補である。第2に、賴は国際派の蔡に敬意を持っており、迷いがある。もしも賴が蔡に挑戦するつもりなら、昨年11月の地方選挙大敗直後に辞任し、人気集めの言動をしてきたはずだ。第3に、党内で蔡支持の勢力はいまだ根強い。長年劣勢を跳ね返して国民党に対抗してきた民進党は、団結を何よりも重視する。賴は、先に国民党で誰が候補になるかを見極めてから、出馬表明をするか、副総統候補を受けるかなどを決めるのではないか。

*本稿は『The Daily NNA台湾版』第04729号(2019年1月14日)に寄稿した評論である。本ブログに転載を許可していただいた編集部に御礼を申し上げる。

2019年1月 4日 (金)

●時間泥棒やめようね③マイナンバーをオンライン登録させるのはやめて!

「うわっ、また来た・・・」、さて、どうしよう!?マイナンバーをオンライン登録してください、というメールである。私は、年に10回以上マイナンバー登録をしなければならない状況にある。原稿料やら講演料の源泉徴収のためである。そのために年末から年明けにかけて、マイナンバーカードのコピーを持ち歩いている。そして、こうしたオンライン登録の依頼は、わずか2回目である。1回目の時は、その会社に苦言を呈し、コピーを郵送することで、事なきを得た。


しかし、ついに2回目がやってきた。ということは、「マイナンバーをオンライン登録しよう」という会社が増えている可能性があるのだ。もはや看過できない・・・。という理由で、原稿の執筆やら校正やら学生の推薦状やらが山ほどたまっているこの時に、私はこのブログを書くことを決心したのだ。


現代人は、文理を問わず、さまざまなオンラインのシステムに対応しなければならない。あらゆることで、自己のアカウントを作り、パスワードを登録し、オンラインで手続きを取らなければならない。もはや避けられないのだ。仕事なら仕方ない。しかも、どのシステムもしょっちゅう使って慣れてくれば、まあ便利だと思えてくるものである。


他方、仕事以外の場合、たとえば、自分の誕生日に来るさまざまな景品付きメールであるが、そんな一発勝負のメールを、私は完無視することに決めている。時間のムダであるし、どうせたいした景品はもらえない。そのためにまた自分の個人情報を新たに登録し、そのことでさらに多くの迷惑メールが押し寄せ、自分の将来の時間がたっぷり削られるだけである。そんな景品をもらうのに時間を使うくらいなら、その時間でどこかに一本謝礼つきの原稿を書けば、10回の誕生日分の景品を買える金額をはるかにこえる原稿料がゲットできるだろう。


ところが、マイナンバーのオンライン登録は違う。これは納税者として、やらなければならないからである。しかも、オンライン登録のために、やることが膨大にある。たった1回のために。


まず、来た依頼メールを疑わなければならない。「●●さま、こういうところから依頼が来たのですが、これは本物ですか?」ということを聞いて、返事をもらって、確認してからスタートできる。これが郵便で返信しろというのなら、宛先の住所を検索するだけで、おおよその判断が出来る。


次に、IDとパスワードを入力して、自分のアカウントにアクセスしなければならない。そして、長大かつ綺麗に作ってあるマニュアルを熟読しなければならない!!!それから、マイナンバーをスマホで撮影してアップし(PDFではだめだったりする)、その後には、その画像を消さなければならないのだ!私が、1回目の依頼を断った際、イラつきながら書いた2年前のメールの一部を編集してここに再現することにしよう。


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●●さま


マイナンバーの登録について苦言です。●●●●社というところからオンライン登録せよと何度も来ましたが、なかなかできません。そもそもこれは御社の依頼で間違いありませんか?


私は、たいていメールは移動中にスマホで処理するのですが、この登録はスマホではできません。卓上のパソコンに向かってやってみると、画像を送れということで、パソコンではできません。PDFにスキャンすると、それでは受け付けてくれません。マニュアルを読み直しているうちに20分過ぎてしまいました。ようするに、御社のみに対応するために、マニュアルを熟読し、「このためだけに」マイナンバーをスマホで写真にとり、パソコンを使ってアップしなければならない、という極めてストレスフルなやり方になっています。しかもその写真は、プライバシーを守るために、すぐに消す必要があります。どれだけ手間暇をかけさせるのか!という感じです。しかも、御社だけのために。1回だけのために。


あまた対応しましたが、最もやりにくく、不合理を感じました。他の多くがやっているように、コピーを郵送させ、私にはマイナンバーの欄をブランクにした源泉徴収票を送る、ということはできませんか?確定申告の時に、私が自分で書き込めばいいだけではないですか?


それでよければ3分で対応できます。マイナンバーのコピーは常に持ち歩いてますから。郵送でよいなら、私は毎回同じ動作をするだけですむのです。もちろん、もしも、全ての会社が御社と同じシステムに入力するよう要求するのであれば、このオンライン登録をすることには意味があります(ネットワーク外部性です)。でもそれは自明ではありません。システム会社の宣伝か営業に負けて、御社がこういうシステムに手を出すのはいかがなものかと思います。御社は膨大なお金を掛けて、ご自分の時間を生み出しているのかもしれませんが、我々はそのせいで膨大な時間を費やさなければならないのです。


理系の人はたいてい、全ての人が自分と同じくらいの能力があることと、自分の作ったシステムを理解するために、全ての人がいくらでも時間と労力を費やすことを当然視しています。そのために、テクノロジーが発達するにつれ、恐ろしく面倒な社会が構築され、個々人が対応できなくなり、全体として破綻していくのです。毎日そう感じています。


源泉徴収票も、会社によっては、メールの添付ファイルで送ってきます。それで充分です。できませんでしょうか?できるのであれば、すぐに郵送します。


おとなしく従わない人が一人でもいないと何も変わらないと思い、筆をとりました。想像して見てください。もしも、たとえば20社から、それぞれ全く異なるシステムでマイナンバーのオンライン登録をするように依頼されたら、どうなるでしょう?私は20の異なるマニュアルを熟読して対応しなければなりません。それぞれたった1回の登録のために!です。そしてどこかに間違ってアップするリスクを抱えながら、私はマイナンバーの写真を20回撮って、20回消せと言われるのです。


どうか、再検討してください。ご無礼、お許し下さい。

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この会社の方は、私のこの不満たらたらの不躾なメールに対して、誠実に対応してくださり、コピーの郵送に切り替えてくださった。頭が下がる。こんな不愉快なメール、出している私も胃が痛むし、もらうほうも、困っちゃうだろうな・・・。


ごめんなさい。私はITに弱いのです。異なる規格の複数のオンライン作業を、どれだけ時間がかかるかわからないのに、即座にサクサクと処理できるような能力が、私には欠けているのです。私は、一つでもミスしたら絶対前に進めないよう設計されているシステムに対応するために、かなりの集中力と時間を使ってしまう社会的弱者なのです。でも、なんとなく感じています。これは私だけの欠点ではないということを。もしも世の中の主流が、「自分だけが楽になり、全ての負担を相手に押しつけるシステム」になってしまったら、どうなるのでしょうか?結局みんなが不便になるのではないですか?依頼する側が、依頼される側の負担を考えて事務作業をしていく社会の方が、回り回って、結局みんなが助かる社会なのではないでしょうか?あなたの時間も、私の時間も大切なのです。塵も積もれば山となる。時間泥棒になるのはやめようね。(2019年1月3日)


2018年11月27日 (火)

再選に黄信号がともった蔡総統

松田康博・東京大学東洋文化研究所教授

蔡英文・民主進歩党(民進党)政権の惨敗である。1124日に行われた台湾の地方選挙は、民進党にとって、4年前に中国国民党(国民党)が惨敗した選挙を鏡で映したような負けっぷりであった。

最も重要な6直轄市で、民進党が与党だった4市のうち、民進党は高雄と台中を落とした。全体として首長ポストが13県・市から6県・市へと半減したのである。総得票率も40%を割り、「完敗」といえる。

民進党敗北の原因は、何よりも蔡英文政権の政権運営に原因がある。2016年1月の大勝利は、馬英九・国民党政権への不満や反対を糾合したコアリション(連合)形成に成功したためであった。今回はこのコアリションが崩壊した。

蔡英文は、再選を危険にさらし、きまじめに改革に取り組み、年金改革、労働基本法改正、脱原発、転換期の正義(国民党の「不当」財産没収等)など、痛みを伴う改革を行った。しかし、改革される側は強く抵抗し、改革を支持する側は遅さや妥協に不満をためた。

しかもせっかく成立した民進党政権なのに、中国との関係は「現状維持」だったことから、台湾独立派からもそっぽを向かれた。これらの状況は、蔡英文の堅実さを表しているが、台湾の有権者はせっかちである。不満はどんどん膨らみ、行政院長を独立派の頼清徳に替えたくらいでは収まらなかった。

他方国民党で注目すべきは、韓国瑜(国民党)への支持が爆発的に広がった「韓国瑜現象」である。韓は民進党の金城湯池である高雄市の市長選挙に徒手空拳で挑んで喝采を浴びた。民進党批判の「空気」をうまくつかんだこの現象は、中部の県・市にも拡がり、民進党への票を大量に減らした。

惨敗により、蔡英文の再選には黄色信号がともった。党主席を辞任した後、党内から批判にさらされ、今後は独立派に妥協した人事や政策をとらざるを得なくなるであろう。このことが、中国との関係にどのような影響をもたらすか、注目される。

ただ、両党とも、2020年の総統候補を決めるまでに数カ月までの時間しかない。大勝利した国民党は、党主席の呉敦義が候補になることを阻止しにくい。呉は国民党の主要政治家の中で、最も高齢で人気がない。しかし、勝利の勢いに乗り、国民党内では、人気のない蔡が相手なら呉でも勝機があると見なされる可能性が高い。

他方、蔡英文は党主席を辞任して責任をとり、一番人気の頼院長の辞任は認めなかった(=辞任後、蔡のライバルになる可能性を摘んだ)。民進党と支持者が重複しているため、総統選挙に出馬すれば蔡英文を落選に追い込める柯文哲台北市長も、今回は3,000票あまりの僅差の勝利にとどまり、出馬の勢いを削がれた。民進党内もまた、人気のない呉が相手なら勝機があるとして、現職の蔡が再選に臨む可能性が高い。

本稿はThe Daily NNA台湾版』第04698号(2018年11月26日)に寄稿した評論である。本ブログに転載を許可していただいた編集部に御礼を申し上げる。

 

2018年4月16日 (月)

ウソから出たマコト――外省人一家の悲喜劇・「香蕉天堂(バナナ・パラダイス)」

松田康博(東京大学東洋文化研究所教授)

転載元:『日本台湾学会ニュースレター』第34号、「特集 銀幕の台湾」20184月、16-17頁。

http://jats.gr.jp/newsletter/newsletter034.pdf

 「香蕉天堂(バナナ・パラダイス)」これは台湾の外省人一家をめぐる「ウソから出たマコト」の物語である。

共産党との内戦に敗れ、「バナナが腹一杯食べられる」「天国」のような台湾に撤退することになった2人の山東人軍属。主人公の門栓は、無学で頼りない弱虫で、体格のよい兄貴分の得勝といつも行動を共にしていた。

2人は、一緒に台湾に撤退した後、軍の慰問劇団で飯炊きや裏方として働き、糊口をしのいでいた。ところが得勝は、冗談混じりに「共産党とは縁が深い」と口走ったことで、共産党の嫌疑を掛けられてしまい、拷問を受け、脱走するはめになる。1人になった門栓にも追っ手が迫り、逃げ惑う中、夫を病気で失い、赤子を抱えて途方に暮れるヒロイン、月香と出会う。

門栓は、ここで月香の亡夫・李麒麟になりすまし、仕事を転々と換えて流浪するはめになった。その途中で再会した得勝は、拷問の後遺症と望郷の念に苦しみ、ついには発狂してしまう。一方、学歴や身分の詐称に成功した門栓は、公務員になって役所に紛れ込む。そして、夫婦関係もなく、血もつながらない「家族」を養うため、習ったこともない英語を使って奮闘する。

時は流れ、台湾は1980年代を迎えた。門栓と月香の「一人息子」、李耀華も成長し、家庭を持った。中台関係が緩和し、中国大陸への里帰り訪問が解禁されたことで、耀華は、門栓がなりすました人物の父親(つまり自分の祖父)を探し出した。そして耀華は、なんと香港で祖父とこっそり対面を果たし、今から門栓に電話をかけてくるというのである。

さて、困った。門栓は自分がなりすました人物の父親と話をしなければならなくなったのだ。門栓は月香に尋ねる。「李麒麟の家の状況を教えてくれ。さもないと話が噛み合わない」。ところが、月香は動揺して何もしゃべらない。ついに月香の秘密が明かされる…。

この映画は、戦乱を乗り越えて台湾に渡った「外省人のあるあるネタ」が満載の作品である。偽装結婚、なりすまし、学歴詐称、公文書偽造、血のつながらない家族…多くの外省人が、生きるため、ウソで人生を塗り固めてきた。これらのウソが、愛情と同情をもって、そしてちょっと突き放されながら、淡々と描写されていく。

描かれる台湾社会は美しく、素朴で、苛烈である。下駄履きを纏足の代わりに演ずる劇団員、間の抜けた「ナカシ(流し)」、職場に潜むスパイ、美しい北京語の尋問、大陸反攻を叫ぶ軍隊、腐敗した警察、鬼気迫る迷信的祭祀、バナナ農家で働く逃亡外省人、望郷のあまり発狂する若者、過保護で過干渉な外省人家庭、能力もないのに威張り散らす公務員…。スクリーンには、既視感溢れる映像が次々と流れ、台湾人達の笑いと涙を誘う。

「国語」が下手な本省人と「台湾語」が下手な外省人。でもお互いに何とか距離を縮めて一緒に生きようとしている。バナナおばさん(香蕉嫂)は、発狂した得勝を抱きかかえ、その母を演じる。そして門栓もまた、自分がなりすました李麒麟の父親との会話にのめり込んでいく…。「

「香蕉天堂(バナナ・パラダイス)」とは、台湾海峡をまたぐ戦争と政治に人生を振り回された人々が、泣き笑いしながら生き抜き、ウソの家族関係をマコトの家族愛に転換していった人間ドラマなのである。

「こんなふうにして、一生が過ぎるなんて、思ってもみなかったわね(我没想到我們就這様過了一輩子)」という月香の一言は、外省人第一世代のみならず、激動の時代を生き抜いた台湾人達に共通する慨嘆なのではないだろうか。

筆者は、単著『台湾における一党独裁体制の成立』(慶應義塾大学出版会、2006年)で、蔣介石をはじめとする中国国民党の統治集団が、大陸での失敗を総括し、一党独裁体制を再建し、台湾で再出発を果たしたプロセスを分析した。この映画は、論文では決して書くことができなかった、台湾における外省人社会の実像を見事に描き切っている。筆者の論文なんかより、百倍面白くて分かり易い。

なぜこの映画をこれほどまで微に入り細に穿って観たのかというと、実は、1991年に日本の映画祭で初公開された際、この映画の日本語字幕作りに関わったからである。19859月から翌年2月まで淡江大学に留学した際、映画館やKTVでしょっちゅう観たのは、ほとんどが娯楽性の高い香港映画かハリウッド映画であった。大体が(結婚前の妻との)デートだったので、シリアスな作品はあまり観なかった。「国片」と呼ばれた台湾映画は、その後日本で行われた映画祭などで観たものがほとんどである。

お堅い政治史関係の文献ばかり読んでいた自分としては、妻との共同作業となった字幕作りは、戦後台湾の社会史をなめるように読み解く作業であった。台詞の一言一句、俳優の一挙一動、大地の一木一草に到るまで、「これはどういう意味なのか?」と問いながら、妻とともに解答を探しながら、繰り返し観た。純粋に楽しい作業だった。映画館で観たときは自分の作品のようにいとおしく思えた。

26年後の2017年、「香蕉天堂(バナナ・パラダイス)」は大阪で再度公開されることとなり、私達はふたたび、字幕の調整を依頼された。少し違う版だったからである。四半世紀前の誤訳をつぶしつつ、ずっと鮮明な映像で映画を堪能した。大学院生だったとき字幕翻訳した映画を、大学教員になってからもう一度見直すことができたのだ。普段は思い出すこともないのに、ほとんどの台詞が頭のどこかにへばりついていた。

このとき、ちょうど私は「台湾における中国国民党の社会調査―外来の独裁政権は現地社会をどう解釈したのか?―」(笹川裕史編『戦時秩序に巣喰う「声」―日中戦争・国共内戦・朝鮮戦争と中国社会―』創土社、2017年)という論文を書くため、1950年代の社会調査資料を大量に読んでいた。

当時非公開だった国民党の社会資料には、まさに「香蕉天堂(バナナ・パラダイス)」が描き出す社会の諸相がそのまま書かれていた。この映画はフィクションであり、真実そのものではないが、まさに真実を反映した外省人たちの集団的記憶だったのである。よい映画を二度も「熟読」することができて、私は幸運だった。資料も映画も、時間をおいて繰り返し咀嚼するべきなのだ。

「香蕉天堂(バナナ・パラダイス)」は、王童(ワン・トン)監督が1989年に製作した作品で、「無言の丘」、「村と爆弾」と併せ、いわゆる「台湾三部作」の一つに数えられている。ほぼ同時期に公開された「悲情城市」は、本省人の悲劇としての二・二八事件を扱った作品であったが、「

 

香蕉天堂(バナナ・パラダイス)は、外省人の悲劇を扱った作品である。多重移民社会である台湾を肌で感じるためにも、「悲情城市」と併せて観てもらいたい作品である。

★注記:本文は、冒頭に記した媒体から全文を転載したものである。転載を快諾していただいた同誌編集部にこの場を借りて感謝を申し上げたい。なお、特集名は「銀幕の台湾」であり、日本の台湾専門家たちの映画評が並んでいる。併せてお読みいただきたい。

 

2018年2月 4日 (日)

『広辞苑』第7版に関する『産経新聞』の取材に対するコメント全文

『広辞苑』第7版に関する『産経新聞』の取材に対するコメント(http://www.sankei.com/life/news/180126/lif1801260004-n1.html)ですが、おおむね以下のようなコメントを短くまとめてもらったものです。もともとFacebookの友人にシェアさせていただいたのですが、反響が大きかったため、ブログで公開することにしました。ご笑覧いただければ幸いです。

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『広辞苑』第7版(以下、『広辞苑』)の台湾に関する表記ですが、論理に一貫性を欠いていることに問題があると思います。たとえば、「中華人民共和国」の行政区画に「台湾省」を入れているのは、現在の中華人民共和国の立場そのままです(現在の中華民国の立場に立てば、台北市、新北市、桃園市、台中市、台南市、高雄市、台湾省が並立します)。しかし、「中華民国」の項目には、「49年に本土を離れて台湾に移った」とあります。これは中華人民共和国の立場ではなく、中華民国の立場であって、中華人民共和国の立場(中華民国は1949年に滅亡)は無視されています。

また、日本は1952年から72年に台湾にある中華民国と外交関係を有していたので、1949年以降も中華民国が台湾に存在したというのは、日本の立場でもあります。ただ、日本は、1972年の日中共同声明で、中華人民共和国が台湾をその領土の一部とする立場を「十分理解し、尊重」し、さらに「ポツダム宣言第8項に基づく立場を堅持する」(すなわち台湾を中華民国に返還する立場の堅持)としています。この立場は、国会で以下のように説明されています。

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共同声明におきまして中国側の立場を理解し尊重するということを認めたわけでございますが、日本国政府といたしましてはポツダム宣言の立場を堅持するということでございまして、その意味するところは、台湾の地域というものが中国政府に帰属するものであることを当然に認めたものではなく、日本政府といたしましてはそれに関しては何ら物を申すべき立場にないということでございます(第75回国会衆議院外務委員会議録・外務省条約局参事官伊達宗起1975.2.28)。
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つまり、日本は台湾地域が中国政府に帰属するものであることを当然に認めたわけではなく、何ら申すべき立場にない、というものであり、それ以上でもそれ以下でもありません。ただし、これを「厳密には認めていない」とか、「事実上認めた」と表現できないことはないと思います(中華人民共和国はもちろん「認めた」という解釈をとっていて、「事実上」ですらありませんから、これもまた中華人民共和国の立場ではありません)。問題は、この部分について、『広辞苑』があたかも学者か判事のように、中華人民共和国や日本の立場を超越した論断をしていることです。つまり、項目によって、あるときは中華人民共和国の立場、あるときは中華民国の立場、あるときは日本の立場、そしてあるときは異なる見解をもつ両者の立場を超越した論断があり、編集の方針に一貫性が見られません。

『広辞苑』編集部は、民族紛争や領土紛争などで、土地や人民の帰属に異論が存在している時に、どちらか一方の立場や主張を「正しい」とか「間違っていない」として掲載することを、一般的に避けていると思います。たとえば、「尖閣諸島」の項目では、日本の立場に加えて、「中国も領土権を主張している」と書かれていて、すなわち両論を併記しています。言い換えるなら、中華人民共和国の立場にのっとった行政区画では、「釣魚島」(尖閣諸島の中国名)を「中華人民共和国台湾省の一部である」(そして日本の立場は無視する)ことになりますが、『広辞苑』はそういう記述をしていません。このように異なる立場にも配慮した書き方こそがおそらく『広辞苑』の編集理念にのっとった記述のはずです。今回、中華人民共和国の行政区画について、中華人民共和国だけの主張に基づいて書かれたのは、自らの編集理念から外れているのではないでしょうか。

また、岩波書店のホームページでの説明(https://www.iwanami.co.jp/news/n22847.html)では、「日本を含む各国は「一つの中国」論に異を唱えず、中華人民共和国または中華民国のいずれかを正統な政府として国交を結んでいます」(下線は引用者)とありますが、これも間違いで、「唯一の合法政府」が正しいのです。すぐ下の段には正しい解説が載っていますが、同じ文章のなかに、正しい用語と間違った用語が混在していることから見ても、岩波書店が充分な専門知識を持たないままこの文章を作成したことが推測されます。

異なる立場を有する当事者が存在する問題を簡潔に解説するのは、大変難しい問題です。どちらか一方の主張だけを紹介すると、必ず別な立場からの批判や抗議が発生するからです。イスラエルの首都がどの都市であるかについて、イスラエルの立場のみを記述したら、どのような反応が国際社会から起きるか、簡単に想像がつくでしょう。それなのに、日本のすぐ隣りに位置する台湾の地位に関して、中華人民共和国の立場だけを記述すればどうなるかに思いが到らなかったとすると、それはアジアの一員としての日本社会における最も代表的な辞典として、やはり瑕疵なのではないでしょうか。台湾の地位について、誰からも抗議や批判が来ない表現の仕方は存在するのですから、それを書けばよかったのです。

岩波書店が、こうした難しい問題に対して充分な専門知識を持たずに『広辞苑』を執筆・編集し、表記上の瑕疵が発生してもそれを認めないという立場をホームページで宣言していることは、残念なことであると言えます(他の大部分の指摘に関しては修正を発表しています)。『広辞苑』後記には「日常的に読者の方々からいただくご指摘・ご教示は、改訂において欠かせない大切なものとなっている」とあります。『広辞苑』編集部は自らの編集理念にしたがい、虚心坦懐に「これでよかったのか、他によりよい表現方法はなかったのか」と自省した方がよいと思います。

2017年7月 8日 (土)

時間泥棒やめようね②該当者以外に同報メールを送るのはやめて!

もはや、メールの処理が追いつかない。この大量に来るメールを減らす方法はないのか?ちょっと原稿に没頭してメールを放置していたら、いつも破綻しているじゃないか!


しかも、(本物の迷惑メールなどではなく)同僚や仕事仲間からの「真面目かつ無駄な同報メール」の多いこと、多いこと。なかなかいちいち目くじらを立てるのも大人げないと思ってしまい、そのままスルーしている自分に嫌気が差してしまう。


このエッセイをご覧の皆様、どうか一人でも多くの方にご協力いただければ幸いです。こういう事例に遭ったら、このブログのURLを見せてあげて下さい。受け取る人のことを気にせず毎日大量に同報メールを送り続けているあなた、不愉快な思いをされたらお許し下さい。でも、ちょっと考えて工夫するだけで、お互い有意義な時間が生まれるのです。


私の職場は大学の文系研究所です。とくに国立大学の教員はいわゆる「科研費」に応募して、文部科学省系統の日本学術振興会から研究費を獲得することが当然視されています。私はここ数年科研費プロジェクトの代表者をしているので、関連メールが大量に送られてきます。


数年前のことです。事務方から、こういうメールが来ました。科研費代表者に加え、関係者20数名宛ての同報メールです。


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研究代表者各位

(中略) 

平成○○年度科研費の繰越を申請した方は、添付したマニュアルの該当箇所を読んで、必要な手続きを取って下さい。

(後略)

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「あ、俺は該当者じゃなかったっけ?」と思って、最初から最後まで読み返しました。面倒なので短くしていますが、挨拶から始まり、結構きちんとした文章の長文メールでした。そして添付ファイルのマニュアルは50ページ以上!あったのです。


「ちょっと待てよ!?」と思い立ち、私は、発信者に電話をかけました。


「もしもし、さきほどの科研費繰越の手続きに関するメール、読みましたけど、該当者は誰なんですか?」


    「松田先生と、○○先生のお二人だけです」


「マニュアルの該当箇所ってどこですか?」


    「23頁の下半分です」


さて、どうしよう。言うべきか言わざるべきか・・・。やっぱり言うことにしよう。


「○○さん、いつもサポートありがとうございます。でもですね、このメール、該当者だけに送ればいいんじゃないですか?というよりも、『松田先生、○○先生、科研費繰越で手続きが必要です。お二人は、このマニュアルの23頁の下半分だけを読んで、繰越関連の手続きをオンラインでしてください。不明な点があれば御指南しますから、お手すきのときにお立ち寄り下さい』というメールを出せばいいんじゃないですか?」


    「はあ、確かにそうかもしれませんね」


「それで足りるならそうした方がいいですよ。この長文メールを書くのに、あなたも時間がかったでしょう?我々も読むのに時間がかかるんです。該当者でなければ全く不要な情報なんですから、全員に送られたら、お互い時間の無駄じゃないですか?そういうメールが多いと、一日に何分もとられるんです。毎日のことですから、馬鹿にならないですよ」


    「なるほど」


「しかも、該当者が必要な情報は、この50ページ以上あるマニュアルのたった半ページ分なんでしょ?該当者2人には、そこだけが必要なんです。でもそのことが書いていないから、受け取った人はこのファイルをダウンロードして、探さなければならないでしょう?もちろん検索したりすればよいのかもしれませんけど。でもね、自分が検索したところだけが必要であるかどうかを確実に証明する方法は、全部読むことしかないんです。ですから、最初から『ここを見て下さい』と言われたらどれだけ助かるかわかりませんよ・・・」


    「おっしゃるとおりです。大変失礼いたしました・・・」


ああ、よかった。この人は見込みがある。分かってくれたのだ。でもそういう人に限って、すぐに異動してしまう。私のこうした行為は、たいていの場合「賽の河原の石積み」なのだ。しかも「この先生はクレーマーなのではないか?」とか「モンスターじゃないのか?」と思われないか、はらはらドキドキである。事務室で、私が要注意人物扱いされていたらどうしよう?メールで指摘するときなど、嫌われないよう妙に長文になって、これこそ無駄じゃないか!と思うときさえある。(だからブログに書き始めたのです・・・)


なぜ、こんな同僚や仕事仲間からの「真面目かつ無駄な同報メール」が横行するのだろうか?恐らく理由は2つ。1つ目は、そうして送る方が何も考えなくてよいから。とにかく右から左へと、次から次へと送れば間違いないのである。2つ目は、「それ、聞いてませんよ」と言われた時に、「それはすでにメールでお送りしています」といって自分の身を守る防御策になるから。


しかし、これを当たり前だと思うと、結局あなたは人間の処理能力を超えた大量のメールを他人に送りつけることになってしまう。受けた側は、結局「見ない、処理しない、返信しない」ということになるでしょう。だって来るメールを全部見ていたら仕事にならないから。結局締め切り破りが発生し、問題が悪化し、破綻が破綻を呼ぶ。やがて発信者は「重要な該当者だけ」にアプローチし始めることになる。最初からそうすればいいのに。二度手間、三度手間も甚だしい。こうして私達はお互い大量の時間を無駄にしているのです。


ごめんなさい。私には1日24時間しかありません。目も手も肩も腰も疲れています。受け取った人が一目で必要か不要か分かる同報メールを送ってくれませんか?同報メールには、必ず「誰が該当者であるか」を最初に書いてください。そして、「該当者以外の方は見なくて結構です」とはっきり書いてください。挨拶は要りません。そうだ、重要なところだけ★印を入れたり、赤字にしてくれるのもいいなあ。あなたの時間も、私の時間も大切なのです。塵も積もれば山となる。時間泥棒になるのはやめようね。(2017年7月7日)


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